「人志松本の○○な話」という番組が昨日から始まりまして、その第一回目は以前から単発でも何度か放送されていた「ゆるせない話」でした。
「ゆるせない話」ですから、当然みなさん怒ってるわけなんです。
しかしその「怒り」は、そこらへんの身の回りにある、誰もが普通に体験したり見たり触ったりしてるような、なんでもないモノの中から、誰も気付かないぐらいの一歩も二歩も踏み込んだ視点で、対象の本質そのものを切り取っている。その本質との表面的なモノとのギャップに対しての「怒り」なんです。
それをここで提示されると、言われなかったら気がつかなかったけど、言われてみればそりゃそうだ!と思ってしまうようなことなんです。無意識レベルではみんな知っているのに、誰も意識化できてい視点なんですよ。
その切り口のあまりの痛快さに「怒り」が瞬時に笑いへと変換されてしまうダイナミズムが生まれる。そしてそれはそのままそっくり、その問題を解決するアイデアになってしまっているという。。
結構これって「アフォーダンス」とか「デザイン」の考え方に近いんじゃないかと、そんなことを感じます。
特にバカリズムの視点は、トイレの話なんかがそうですが、いかに普段モノを見ているようで実は全然見えていないか、ということを自分卑下レベルで気づかせてくれる鋭さです。最近のバカリズムを見ていて、ネタのフォーマットの革新具合に唸らされっぱなしですが、お笑いのトップにいる人たちは物事の仕組み、本質を掴む視点が並外れている気がします。凄いです。
島田紳介が、島田洋七にネタをパクったと指摘されたときに、
「ネタパクってません!システムパクったんです!」って言ったという有名な話があるんですが、これもそのまま共通するものです。
サバンナ八木とか雨上がりのホトちゃんは若干ずれてましたけどね…。まぁ八木の場合その天然具合が唯一無二の魅力になってるんですけどね…。
「ゆるせない話」。本質的すぎて目が離せないっす。

今日は土曜日で、仕事はもちろん休み。
いつもどおり少しだけ早起きして、読書したりネットをチェックしたり。
そして、朝風呂に入りながら、またもや本を読み。
外はまさに春の到来を告げる陽気で、もちろん桜は満開。
猫はぐっすりお昼寝中。
もう絵にかいたような春の素晴らしい完璧な休日。
ただ一点だけを除いては…。
そう、ミサイル。
北のほうから飛んでくるといわれているミサイルが、完璧な休日に拭い去ることのできない暗い影を落としました。
幼い頃、まだ物心つきたてぐらいの頃ですが、TVだか何かで戦争の映像が流れてたのをたまたま観ていて、B29から原爆が落とされて、一瞬にしてたくさんの人が無くなったということを漠然と知って以来、飛行機が飛んでくるとそのゴーッという音だけで、爆弾を落とされるんじゃないか…と一人慄き、夏の甲子園の放送から流れてくるあの試合開始のサイレンが鳴るだけで、もしかすると空襲なんじゃないかと周りからしたらアホかと思われるぐらいに異常に恐れていました。
そのうち飛行機が飛んできてもサイレンがなっても、日本に住んでいればもう爆弾を落とされることはないんだとわかってくると、そんな恐怖心はどこかに忘れ去っていたのです。
今日、自分の頭の上に本当にミサイルが落ちてくるかもしれない、万が一にもその可能性が現実になるかもしれない、という状況からそんな幼いころの感情を思い出しました。
午後から少し出かける用事があって、たまたま何も考えずにかけたBGMがなんの因果かRage Against the Machineのセルフタイトルの1stアルバム。
![]() | レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン (1993/01/21) レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン 商品詳細を見る |
ヘッドフォンから流れてきた1曲目は、まさに今日この日のための曲、といえてしまうような、『bombtrack』でした。
今まで比較的安全な日々を送れていて、地球上からそのような脅威はなくなったものだと思っていたけど、決してこの地球上からミサイルの危険が消え去ったわけではなく、今まではそれが今日みたいにむき出しになることがなかっただけ。というか、これをつらつらと書いている今だって。。。With the thoughts from a militant mind
Hardline, hardline after hardline
Landlords and power whores
On my people they took turns
Dispute the suits I ignite
And then watch 'em burn
好戦的なやつの頭の中にある思考は
強硬路線、強硬路線に次ぐ強硬路線
地主達や権力に身を売った奴らと
俺たち人民の立場は入れ替わった
制服に火をつけ抵抗し
奴らが焼け死ぬ様を俺は見守る
そんなことを思った、春の素晴らしい完璧な休日…。

横須賀美術館は観音崎の先端にひっそりと、静けさと透明感といった趣を感じさせながら佇む素敵な美術館。美術館の建物そのものや白を基調とした柔らかい内装は、それらを眺めているだけで楽しく、目の前に東京湾が広がり三方を山が囲むロケーションが今日の若干冷い風とあいまって、心が透き通っていくような満たされる感覚がありました。とても好きな美術館です。
元々のお目当ては横須賀美術館内にある谷内六郎館。
谷内六郎さんは主に「週刊新潮」の創刊号から表紙のイラストを書いていらっしゃった方になります。1300点以上の作品をこれまで残されているそうですが、今回はその中の1967年の表紙となったイラスト約50点を観てきました。
谷内さんの作品は、ご存じのとおり、懐かしさと微笑ましくも物悲しい哀愁が漂う画風で知られています。
私自身はユニクロやSMAPのアルバムも手がけたアートディレクターの佐藤可士和さんが、谷内さんの作品が非常に好きだということを著書で拝見したのがきっかけで知ったのですが、今日初めて実際に作品を観ることができました。
実際に見て感じたことは、やっぱり誰もが持っていたけど忘れていく童心の世界観、でした。と、同時にそれに呼応する自分自身の忘れかけていた感情?。
誰にでも幼いころに持っていた子どもにしか捉える事ができない純粋で感受性豊かな世界。それは成長と同時に薄れていって、何時しか忘れてしまうような儚い世界です。その様なものをしっかり捉えて離さず、柔らかく温かみの感じるタッチで表現されていて、これらの作品たちを観ていると、自分自身が童心に帰っていくような、何か胸の中にある懐かしさを司る感覚そのものがほっこりと温かくなっていくような、そんな感覚を得るのです。ジブリの『となりのトトロ』と似たようなメッセージを感じました。
![]() | となりのトトロ [DVD] (2001/09/28) 日高のり子坂本千夏 商品詳細を見る |
本日私が見た1967年の作品の中で特に惹かれたのは「夕べの流れ星」「試合中止」「失敗」の3点。この中で「失敗」のみネット上で見つけました。

谷内六郎の世界より大きな鳥を見つけてあわてふためいた坊やはパチンコのゴムを逆に引っぱってパチンコごと飛ばしてしまいました。
子どもの、パチンコという武器を手にした勇ましさと、獲物を見つけた時の必死さと、微笑ましい失敗がかわいらしく、またパチンコという道具があったなぁ!という懐かしさを感じますよね。秋口の涼しげな風も感じてしまいます。今の子どもはパチンコなんていったって、かろうじてお父さんが日曜日に行くとこ?っていうぐらいのイメージしかないんでしょうね…。
谷内さんの作品は、一枚の絵に様々なメッセージを凝縮し、更には対峙する人間のそれぞれの忘れかけている感情を呼び起こす、温かな作品たちでした。
横須賀美術館と六郎館。絶対また行きたいです!
![]() | 旅の絵本 (谷内六郎文庫 (1)) (2001/04) 谷内 六郎 商品詳細を見る |
![]() | 遠い日の歌 (谷内六郎文庫 (2)) (2001/04) 谷内 六郎 商品詳細を見る |
<ばかにしないということ。> ダーリンコラム
もうまったくもってそのとおりで、「自分を信じろ」と思えば思うほど、なぜだか信じられないイメージがむくむくと湧いてきてしまうんですけど、「自分をばかにしちゃいけない」ならできるような気になる。というかむしろできる。じぶんを信じるって言えるほど、
じぶんは信じられるやつではないんだよな。
でも、そんな信じられないじぶんでも、
ばかにしちゃいけないんだ。
そういうことなんだ。
最近ずっと好きなTHE HIGH-LOWSの『月光陽光』も、簡単に言ってしまえばこの「自分をばかにしちゃいけない」って言ってる曲のような気がする。。。だから、とっても響くんでしょうね。糸井さんの言葉、すっと心に入って来すぎです。。。
なんていう言葉がまさにそのまま当てはまっちゃうような現在の社会状況ですけれども、そんな状況を反映してか、「恐れ」について色々と考えている方が増えているようです。
恐れを感じていなければ、成長はない | Lifehacking.jp
ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <恐怖の効用とは?>痛みが危険を教えてくれると同じように、未知に対する恐怖、未確定な状態に対する不安感にも、自分がおかれた状況を客観視できるようになるための積極的な意味がある
1.恐れは危険を教えてくれる
2.恐れは成長の途上にあることを保証してくれる
3.恐れは何が大事かを教えてくれる
4.恐れは満たされていないギャップを明らかにしてくれる
自分も前に『ドラゴンヘッド』を読んだときに色々と「恐怖」というものについてあーでもないこーでもないと考えたことがありました。ほんとうに、よくよく思い出すべきではないか。
恐怖のおかげでできたことが、
あなた自身の人生のなかで、どれだけあったのか?
親も、先生も、先輩も、主人も、上役も、監督も、
怒鳴ったり脅かしたりして、うまくいったことが、
いつ、どれほどあったのか考えてみてほしい。
![]() | ドラゴンヘッド (1) (ヤンマガKCスペシャル (519)) (1995/03) 望月 峯太郎 商品詳細を見る |
この漫画では「恐怖」という感情にとらわれてしまって破滅に向かってしまう者、「恐怖」という感情そのものがなくなってやはり破滅に向かう者、そして「恐怖」という感情を受け入れることができた者の3者のコントラストを描いて、人間の持つ「恐怖」という感情がどんなものかを問う作品だと認識しています。
「恐怖」には人を成長させる積極的な意味があるという人もいれば、「恐怖」のおかげで何かができたことなど何もないという人もいる。
私自身は「恐怖」とは「余裕」とトレードオフの関係にあるのだとも思っています。「余裕」とは辞書を引くと「1 必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること」と出ています。
「恐怖」の感情が大きくなればなるほど「余裕」がなくなる。つまり「心のゆとり」が無くなるような気がします。これでは気づきをえることも何かを学び取ることも、ましてや成長なんてできるはずもない。
それは「恐怖」とは自らの力では抗えようもうないこと、例えば「死」であるとか、例えば「自然災害」だとか、とにかく自分の力ではどうにもならない強大な何か、そんなものから派生するからじゃないのかと。恐怖とはつまり受け身の感情。
しかしもし仮に「恐怖」という感情が自分を成長させてくれるとするなら、それは「危機感」と置き換えると腑に落ちませんか?「危機感」とはこれまた辞書を引くと「今のままでは危ないという不安や緊迫感」だと。つまり「恐怖」対して能動的。
「恐怖」が人を成長させるか、破滅に向かわせるかは、つまり受動的か能動的か、の違いなのではないんじゃないのか?と、思ったり思わなかったり…。


![となりのトトロ [DVD]](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Q4A2WY0HL._SL75_.jpg)














