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仮面の下に潜む沈黙の宇宙から…‐『藝人春秋』水道橋博士

読書が好きで、くる日もくる日も飽きずに本を読んでいると、ごくまれに、読み終えた瞬間、自分の全感受能力を動員してもその実感を処理しきれずに言葉を失ってしまう本に出会うことがある。本書もその一つとなった。

読んでる途中から言葉を失ってしまい、ただ「沈黙の宇宙」に漂い、放心するのみ。そして裏表紙を閉じると同時に、沈黙のまま手にしている本を胸の内に抱きしめたくなってしまう。沈黙の宇宙空間に、決して言葉にはできないが確かに存在している何かと共に…。

藝人春秋藝人春秋
(2012/12/06)
水道橋博士

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藝人春愁 (水道橋博士 著)

本書は数多の巨星・名人・怪人芸人たち15名の、その濃厚すぎる生き様を、浅草キッドの水道橋博士が小説のように描写した一冊である。主な登場人物はそのまんま東、甲本ヒロト、草野仁、石倉三郎、古館伊知郎、三又又三、ホリエモン、湯浅卓、苫米地英人、テリー伊藤、ポール牧、爆笑問題(太田光)、松本人志、稲川淳二。そして通奏低音として、常にビートたけしの存在が色濃く意識される。

本書を読み終えて、本当にただ圧倒され言葉を失ってしまった。一言たりとも感想めいたものをつぶやくことができない。仮に言葉をにできたとしても「すごい…」とか「ヤバい…」とか、表面的なものしか出てこなかっただろう。とてつもないものに出会うと人間は真っ先に言葉を失うらしい。

しかし、しばらく時間が経過すると、冒頭から書いてきたことと矛盾するようだが、その沈黙の中から無理やりにでも語るべき言葉を引き出そうとしている自分に気づく。そして今まさにこうして文章を綴ろうとする衝動に駆られてしまうのだ。

なぜそのような衝動に駆られるのか?その理由はあえて後述することにする。

さて、本書に登場する15名の芸人に共通するもの。それはみな「雄弁」であるということ。それぞれが時に激しく時に穏やかに、時に大胆に時に不敵に、ある種の突き抜けた強度を具えた、逆説的で哲学的な自らの言葉を雄弁に響かせてゆく。

そして芸人達の雄弁な言葉を綴る筆者の言葉もまた雄弁。アナグラムや押韻、メタファーを張り巡らせ、ひとつのセンテンスのなかに幾重にも意味が折り重なり、それらが次々と関係性を持って連鎖していく。その語り部の濃厚な言葉から、語られるそれぞれの芸人がもつ十色が匂い立つかのように浮かび上がってくる。

このようにして、語られる芸人と語り手の濃厚で雄弁な言葉が、シンクロしグルーブし激流となって読み手を襲うのだ。

仮面の下に潜む素顔、それは沈黙の宇宙

本書はしかし、その「雄弁な言葉」だけで構成されているわけではない。むしろその「雄弁な言葉」とは、本書を構成する要素のほんの一部でしかない。

どういうことか?それは綴られた言葉が雄弁かつ濃厚であるが故に、逆説的に、人間という存在が抱える「言葉にならない・言葉にできない」深淵で崇高な何かを照射しているからである。「雄弁な言葉」の字面から、行間から、人間の持つ深遠な宇宙が染み出し、次第に顔を覗かせてくるのだ。

「雄弁な言葉」とは「言葉にならないもの」のほんの一部を一つの表情として外部に知覚させる仮面のことなのだ。つまり芸である。その芸の仮面の下には必ず見えない本当の素顔が隠されている。その素顔こそが「沈黙の宇宙」にある「言葉にできない何か」であり、人間のもつ深淵さなのだ。

本来であれば、芸人とは自らの素顔をさらけ出すことはない。どんな時でも素顔を隠し、人を笑わせなければいけない世界だからだ。

芸能界は親が死んでもトチれない世界なんだよ。だから辛抱だ。辛抱ってのは、辛さを抱きしめるってことだからな。今はひとりで抱きしめろよ!―石倉三郎

芸能人っていうのは、身内に不幸があっても笑ってなきゃならない。陰でどれだけ泣いても苦しくても、テレビでは『はいどうも~』って笑わせなきゃならない。もう、やかましいぐらいよくしゃべって、『あんた明るいねぇ』なんて言われていましたからね。―稲川淳二

しかし、筆者によってその芸という名の仮面が精緻に描写されると、仮面の綻びやズレが段々と露わになってくる。その隙間から漏れ出てくるものが読み手を鷲掴みにし、強引に「沈黙の宇宙」へと放り投げるのである。

自分のことになるが、名作『キン肉マン』にはたくさんの印象的なシーンがある。その中でも特にロビンマスクの仮面が剥奪され、暗幕で覆われた顔面に鋭く光る眼光が露わになったシーンは、強烈にドキリとさせられた。闘いと友情を、熱さとコミカルさで描くのが基本トーンの作品であったが、ロビンマスクがマスクを剥奪されるシーンは一種独特の深みのような側面を『キン肉マン』にもたらした。子どもながらに侵してはいけない神聖な領域を侵してしまったかのような罪悪感にも近い情動を感じてしまったことを覚えている。

また、小学生の頃にワールドプロレスリング中継で流されていたザ・グレート・ムタVSスーパーストロング・マシンの一戦も忘れられない。真夏のよみうりランドの野外のリングで行われたこの一戦。試合終盤に突如としてムタが非情にもマシンのマスクを引き剥がしにかかる。すぐさまマシン軍団によってタオルが被せられるまでのほんの数秒の出来事だったが、ムタの毒切りによって緑色に変色した素顔のマシンの顔面に妖しく光る眼光をカメラが確かに捕えたのだ。この一戦にも、やはり見てはいけないものを見てしまった罪悪感に似た衝撃を受け、掻き乱されるほどに魅了された。

蛇足ながらに言及しておくと、このよみうりランドの一戦は新日ファンなら誰もが知る「オマエ平田だろ!」事件よりも後の出来事であったが、当時小学生の自分には、そのような文脈的な知識は幸いと言っていいのか、まだ持ち合わせていなかった。さらにいえば「しょっぱい試合してスイマセン」事件よりも前の出来事である。当時の小学生はまだ、スーパーストロング・マシンとは「戦慄の殺人魔神」であるという幻想の中にあった。それだけにこの一戦は、冷酷で不気味な笑みを湛えたマスクの裏側の闇の中に、陰影のある表情が潜んでいることを小学生の脳裏に強烈に妬きつけたのだった。

これらの体験と同様に、芸という名の仮面の隙間から、本人の素顔、つまり「沈黙の宇宙」が漏れ出し、染み出してくることによって、遂には自らまでも「沈黙の宇宙」に放り出されてしまう。それこそがこの本が持つ超一流の芸がなせる技なのである。

「沈黙の宇宙」と「死者の記憶」

先ほどから何度も繰り返している「沈黙の宇宙」、「言葉にならないもの」。それはいったい何か?内田樹氏の『街場の文体論』に「言葉にならないもの」についてこのような一節がある。

僕らの身体の中心にあって、言葉や思想を紡いでいく基本にあるものは、かたちあるものではない。それは言葉にならない響きや波動や震えとか、そういうような非言語的な形態で、死者たちから生者へと手渡される。言葉というのは、「言葉にならないもの」をいわば母胎として、そこから生成してくる。それを「ソウル」と言ってもいいし、「生身」と言ってもいいと僕は思います。そこから発してくる言葉だけがほんとに深いところで人を揺さぶる。

街場の文体論街場の文体論
(2012/07/14)
内田樹

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「沈黙の宇宙」、「言葉にならないもの」は、人を揺さぶるような言葉や芸が生成される母胎のようなもの…。

またもっと踏み込むと、「沈黙の宇宙」はあの世・あちら側の世界のことであり、それは「死」に似ている。言葉や芸という、他人が知覚できる表現を仮に「生」にたとえるなら、隣り合わせにある「沈黙の宇宙」は「死」だ。「死」は絶対的な沈黙である。

そして死者が持っていた記憶は「沈黙の宇宙」に残る。偉大な芸人達は、その「沈黙の宇宙」で死者の記憶とつながっていて、奥底で常にその存在を確信し、肯定・受容して、言葉や笑いや歌へと昇華させているのではないか。『街場の文体論』からもう一つ。

みなさん一人一人のなかにも、それぞれが属している集団や共同体のソウル、あるいは親たちからのソウルが「メモリーズ」として輻輳している。見知らぬ他者の、死者たちの記憶がみなさんの中でざわめいている。死者たちの記憶は消えない。ある種の波動のようなかたちで残っていて、それが僕たちの「ソウル」をかたちづくり、そこから他者に届く言葉が不断に生成している。

死者は、生者の知らない記憶を持ちさる。しかし、その記憶は何らかの形で伝達される。誰にも教えられるわけでもなく普段何気なく取っている行動から、ふと亡くなった祖父や祖母や恩師の存在(というよりも質感や匂いといったほうが良いか…)を丸ごと感じてしまうことがある。そんなとき、自分は自分だけで構成されているわけではく、過去の死者たちの記憶のなかで、また新たな記憶を生きていることを実感するのだ。

おもいでは過ぎ去るものではなく積み重なるものだ。―まえがき


芸人達の気持ちをコピーする

さて、私が本書を読み終えて言葉を失いながら、それでもこうして稚拙ながらに言葉を綴る理由がおわかり頂けたでしょうか。本書で紹介されている15名の芸人たちと筆者は、意識的か無意識的かの違いこそあれど、常に「沈黙の宇宙」に身を浸し、そこから「雄弁な言葉」や「芸」を生成している。つまりはその〝気持ち〟をコピーしたかったのだ。

「芸事とかクリエイティブな仕事に就くと、まず自分の好きな表現スタイルを模倣しようとするじゃん。『アイツの鳴らしたあの音を自分でも鳴らしたい』って思っちゃもうダメなんだよぉ。アイツがあの音を鳴らした時の〝気持ち〟をコピーするんだよ。衝動を。そうやっていくとオリジナルで一生現役でいられるんだぁ。音をコピーしたり再現したりだと形骸化するだけでさ。もし、その衝動がなくなった時は終わりなんだぁ」―甲本ヒロト

「沈黙の宇宙」から言葉や芸を生成することで、ほんの一瞬でも、「きりもみしながら音速で飛行するかもめのジョナサン」のように、あるいは「金星のパイロンをかすめて輝きながら飛び去る石」になれるのかもしれない。なんてことを思うんだなぁ。

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