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「洋楽聴く、聴かない」じゃなくて、やっぱ「音楽、楽しんでる?」だよね!

こちらの記事をきっかけにネット上で盛り上がっている「洋楽聴く、聴かない」論争、がっつり興味深く反応しております。

洋楽を聴かない人が増えている。

海外の音楽シーンに興味を持つ層がどんどん少なくなっている。洋楽というカルチャー自体が、いよいよ絶滅危惧種になりつつある。ここ最近の変化ではない。ここ数年、ずっと言われ続けてきたことだ。どうして、こうなったんだろう? 何が変わったのか。そういう問題提起を本稿ではしたいと思う。

第47回:いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?

以前ダイノジの大谷さんのブログを読んだときから漠然と考えてたんだけど、直近ではこんな記事↓も出てきて、俄然自分もちょっと言わして!的に盛り上がってきたので、勝手にちょっとまとめてみます。

第49回:それでもやっぱり、邦楽は聴くけど洋楽は聴かないだなんてもったいない! | DrillSpin Column(ドリルスピン・コラム)

音楽は産業なんかじゃない!人生そのものだ!と言いたげなピーター・バラカンの「ラジオに魔法を取り戻す」運動を支持する

まずね、結論から言っちゃうと上の記事でDAさんが言ってるとおり、邦楽か洋楽かの枠にこだわること自体がとてももったいなく馬鹿らしい。音楽の魅力をものすごく矮小化しちゃってるんじゃなかろうか、って思うんですよねぇ。

これだけグローバルな世の中になって、YouTubeを開けば世界中の音楽が全て並列に存在していて、iPodを鳴らせば、自分の好みに合わせた曲がランダムに流れ出すんだ。15年前ならいざ知らず、こんな状況下でも洋楽・邦楽の枠にこだわるなんて馬鹿らしい。

洋楽が聴かれていない事実があったとするなら、洋楽か邦楽かの是非を問うよりよりも、どうやってもっと音楽そのものを楽しむか?ってことを追求していけば自然と洋楽に辿り着いちゃう。というか洋楽と邦楽の分類そのものがどーでも良くなるから。

というけでいち音楽好きとして自分はこういうふうに楽しんでるよーってことをざっと挙げてみたいんですけど。

音楽の系譜を辿るおもしろさ

まずなんといっても音楽の系譜を辿るおもしろさってのがあるよね。好きな邦楽アーティストがいたとして、そのアーティストがこれまでどんな音楽に影響を受けたか、あるいはそのアーティストがカバーしてる楽曲の原曲を遡っていく。これがまずすんごく楽しいのよ。

例えば自分でいえば、やっぱりブルーハーツ(ハイロウズ、クロマニヨンズ、ようはヒロトとマーシー)なんだけど、そこでこの人たちの影響を受けた音楽ってなんだ?と遡るとピストルズやクラッシュ、ラモーンズなんかの70'Sパンクにまず行き着く。そっから更に行くとザ・フーだったりモットザフープルだったり、もっと行くとマンフレッドマン、ビートルズ、ストーンズに。まぁそこまで行っちゃうと、この世に存在するロックバンドで、この辺の影響を受けてないバンドなんてない、って話になってきちゃうんでアレなんだけど…。

でね、そうやって遡っていって音楽の歴史・系譜を知ることでもっと教養を深めなさいだとか幅を広げなさいだとか、そういう綺麗ごとが言いたいわけじゃないのね。そうじゃなくて、ここで重要なのはピストルズやクラッシュを聴いてからブルーハーツ(ハイロウズ、クロマニヨンズ)を聴くと、その音楽の中に、ピストルズやクラッシュの要素が見出せるようになる。ヒロトとマーシーの楽曲の背後に洋楽のエッセンスが感じられるようになる。それを発見することの喜びや、自分の感性の深まりによって、ヒロトとマーシーの鳴らす音楽がより深くもっと重層的に楽しめるようになる。つまり好きなアーティストをもっと好きになれるよ~ってことなんです。

他にも、例えばももクロなら『労働讃歌』って曲の作曲はイギリスのTHE GO! TEAMというバンドのメンバーが手がけてるみたいなんだけど、じゃあTHE GO! TEAMってどんなバンド?って紹介していく。するとももクロファンの中でもしかしたら一握りぐらいはTHE GO! TEAMの音楽を好んで聴くようになるかもしれない。あと、B'zがモトリークルーをガンガンパクってるらしいって知ったらバリバリ野次馬根性でモトリークルー聴きにいく。やっぱり似てんな~、でも、それはそれとしてモトリークルーかっこいいなぁ、とかねw







あと系譜を遡っていって発見した原典となるアーティストから、逆に他の現在進行形のフォロワーのアーティストへと降りていくってのも、楽しいよ。

例えば自分の場合だったら、クラッシュを知ったことによって、直系のランシド、ドロップキックマーフィーズとかだけじゃなくワールドミュージック系の、フランスのマヌーチャオ、イタリアのバンダバソッティ、メキシコのエルグランシレンシオ、アルゼンチンのトドス・トゥス・ムエルトス 、チェ スダカ、あるいは女性アーティストのリリーアレンとかを発見できた。こうやって、音楽性はそれぞれ多彩だけど、レベルミュージックのマインドで一貫していたクラッシュの精神性を受け継いで世界中に散らばったアーティスト達を探し出すのっておもしろいんだよなぁ。











上に挙げたバンダバソッティがブルーハーツの『情熱の薔薇』をカバーしたことがあったんだけど、単純に好きなバンドが好きなバンドをカバーする喜びだけじゃなく、その背後にクラッシュという第3の存在が見えてきてすんごいうれしかった!自分の好きなものが勝手につながっていくという、ちょっとした不思議な感覚。こういうのもまた格別です。



こんなふうにもとは同じアーティストからの影響を受けているのに、それぞれスタイルは微妙に異なる多様な現在進行形の音楽がたくさんあることを知ることで、敬愛するアーティストがなぜそのスタイルを選び取ったのか、なぜ自分はそれが好きなのか?というように、やっぱりこれも好きなアーティストがより好きになれちゃうわけ。


こういう楽しみを見いだすためにはアーティスト達が積極的にフェイバリットを開示していく必要があるんじゃないでしょうか~。

以前、ハイスタのギターの健くんのムック本に、「影響を受けてきた音源50枚の紹介」とかがあったりしてずいぶんと参考にさせてもらったし、健くんのDEAD AT BAYAREAというイベントの時には、物販で「KENNY RECORD」と題して自らチョイスしたアルバム100枚に、一枚一枚コメントを付けて販売したりとかもやっていたらしい(行ってないから直接見たわけじゃないけど…)。こういうのからファンが音楽の幅を広げていくことでハイスタやKenバンドの音楽を聴くときの楽しみがさらに増殖していくんだと思うんだよね。

こんな感じでアーティストが積極的に自分が影響を受けた音楽をオープンにしていくことで、よりそのアーティストの楽曲が深く聴かれていくスパイラルが生まれるんじゃないかな。

ムック 横山健 (リットーミュージック・ムック―GM special feature series)ムック 横山健 (リットーミュージック・ムック―GM special feature series)
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キュレーション・編集による新たな価値を発見するおもしろさ

次に、一つのテーマや切り口によってジャンルを超えた音楽のつながりを発見するおもしろさってのがあるんだよね。

以前遊びに行ったクラブでDJがかけた選曲にすんごい衝撃を受けたことがあって、それは「モータウンビートつながり」で楽曲をつなげていくという切り口の選曲だったのね。それを体験した時、本当に目から鱗ボッロボロだったの。斉藤和義の『歩いて帰ろう』とスプリームスの『You Can't Hurry Love』とが並列で提示されると、こんなに新鮮な感覚を味わえるのか!ってほんとぶっ飛んだ。





これってつまり、編集・キュレーションによって楽曲群にひとつの視点や切り口を付託することで、今まで見えなかった価値が生まれるってことなんだよね。この辺りは冒頭のDAさんの記事や、ピーター・バラカンの記事でも触れられてることでもあるんだけど。上に書いたように音楽の系譜を遡ったり、下ったりするのが縦の軸を行き来するおもしろさだとしたら、この場合は横の軸を見つけ出すおもしろさ。

全く違うジャンル同士の音楽でも、一つの切り口によってひと固まりの楽曲群として新たな価値を持って浮かび上がってくる。これによって自分の既成概念ぶっこわされる新鮮な感覚があじわえちゃうんだよね。まさに洋楽邦楽といった国境も、ジャンルも時代も全部飛び越して、音楽のもつ本質的な魅力を体感できた音楽体験になっちゃう。

自分でいえば、さっき上に書いたクラッシュフォロワーのところとも近いんだけど、レベルミュージック・プロテストソングの切り口で楽曲を横展開で広めていったりするのが好きだったなー。この辺の多様な切り口の提示ってのはメディア(音楽ライター・DJ)を担う人の心意気次第なんじゃないでしょうか。
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フェスにおける未知との遭遇のおもしろさ

あとやっぱりフェスね。フジロックやサマソニなんかの邦楽洋楽混合型のイベントに行ったときに最も嬉しい瞬間って、全く知りもしなかったアーティストのステージをたまたま通りがけに見てたら、やべぇ!いいじゃん!ウォー!ってなってしまう、未知との遭遇の瞬間なんだよね。むしろ予備知識がない状態だからこそ、余計な理屈抜きで、本当に音楽そのものによって心を揺さぶられたりするわけ。フジロックなんかに行く人だとこれ、わかるでしょ?

なので、ロッキンジャパンとかもさー、1日1,2組でいいから、主催者側のイチオシの海外アーティスト出せばいいじゃん、って思うんだけど…。最近のワカモノは洋楽を聴かないという前に、たくさんの音楽を体感してもらえる場で、実際に素晴らしい洋楽ってやつ体感させちゃえばいいんじゃね、と。ロッキンジャパンは国内アーティストにこだわることにこそ意味があるんだ!と言われるかもしれないけど、実はひそかに2001年にはジョン・スペンサーだって出てるんだよね。立ち上げ当初で方針がブレてたのかもしれないけど、まぁ事例はあるっちゃあるんだから。ここはもうイベンターさんの頑張りどころです。

あと以前ハイロウズがトムロビンソンバンドやジョナサンリッチマンなど、自分たちが敬愛する海外のバンドを呼んでイベントを企画するようなこともやってたし、最近じゃアジカンのNANO-MUGEN FESなんかでも海外のバンドを数組招聘してるもんね。こういう機会がもっと増えたらおもしろいのになぁ。


というわけで、こんな感じで「洋楽聴く、聴かない」という狭い範疇で論争するよりも、そもそも音楽、楽しんでる?もっと楽しめるぜ!ってところをアーティスト、メデイア(音楽ライター・DJ)、イベンターが、これまで以上に意識的に追及していけば、自然と洋楽邦楽といったボーダーなんか無くなっちゃうのになぁ、と考える次第です。

好きなアーティストが1組いれば、すでに可能性は開かれている

でもまぁ身も蓋もないこといっちゃうと、人間なんてそう簡単に他人から押し付つけられるものを受け入れることなんてできなんいんだよ。これ、音楽に限った話しじゃなくて、勉強でもそうだし、職探しとかでもそうなんだけど。結局のところ自分で興味をもって自分ごととして能動的にはたらきかけるようにならなきゃ、どんだけきれいごとを並べたって、受け入れない。むしろきれいごとであればあるほど受け入れようとはしなくなっちゃう。

だから、そのきっかけだけになるようなものをポンっと無造作に置いとく。それをやってくしかないんだよね。「なんかあっち、楽しそうだぞ…。ちょっとのぞいてみようかな…」って思わせたら勝ち。本当に好きな邦楽アーティストが1組いるなら、常にそこから音楽の楽しみ・可能性は開かれてるんだからさ~。
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