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名音楽家は無自覚な名文家-『小澤征爾さんと、音楽について話をする』小澤 征爾、村上 春樹

日本を代表する音楽家と小説家の対談は、「音楽と文章」の表現の広がりをそのまま表すかのようなインスピレーションに溢れる奥深いやりとりでした。

小澤征爾さんと、音楽について話をする小澤征爾さんと、音楽について話をする
(2011/11/30)
小澤 征爾、村上 春樹 他

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この本の内容は、もう題名そのまんまです。それ以外に別に説明することもないので、細かい説明は端折ります。

この本の中で、村上さんが「文学と音楽の関係」について言及する個所があります。非常に興味深い言及なんですが、ここに関しての小澤さんの反応が非常におもしろかったんです。

村上 僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。(中略)言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。(中略)僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いていきます。

小澤 文章にリズムがあるというのは、僕は知らなかったな。どういうことなのか、まだよくわからない。

「読み手を惹きこむリズムのある文章は、音楽的な耳を持っていないと書けない」と主張する村上さんに対し、「まだよくわからない」といまいち腑に落ちない様子の小澤さん。

ここを読んで、むしろ「まだよくわからない」と言う小澤征爾自身が、実はもっとも村上さんの主張を体現し、証明している人なのになぁと、その反応に驚いたんです。

小澤さんがまだ20代の頃に書かれた『ボクの音楽武者修行』という一冊。これを読めばもう「音楽的なセンスが名文を生む」のは一目瞭然。

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)
(2002/11)
小澤 征爾

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以前、下のエントリー↓↓↓で、この本を読んだ感想として「世界の名音楽家は、文章のほうも名文家」と書いたんだけど、ここで小澤さんによって表現されている伸びやかでみずみずしい文章は、まさに村上さんの言うとおり類稀なる音楽的なリズムそのものだと思うんです。

『ボクの音楽武者修行』小澤 征爾 オーケストラとサッカーのアンサンブル

音楽的なセンスが名文を生むということを実際に形にしているのに、当の本人が「よくわからない」と、無自覚なのがなんとも不均衡な印象をもたらしますよね。むしろ凡人があぁでもないこうでもないと頭で考えるのとはもはや別の次元で、ハナから音とことばが一体化していて、意識せずとも内発的に自然にスーッと出てきてしまう性質のものなんだろうなぁ。きっと。

ちなみに自分はロックやパンクなんていう荒っぽくて雑な音楽しか聴かないので、文章のほうもこのように稚拙極まりないわけなんですねぇ…。と言い訳してみる…。というか、ロックやパンクに失礼…。

この本はオーケストラに造詣が深い人じゃないと正直理解できないところも多いとは思うんですが、最後の章では小澤さんが取り組んでいる音楽教育の話しが展開されていたり、村上さんの小説の書き方に話が及んだりと、広く一般的に応用して考えることのできる話題も交じっています。オーケストラの門外漢でも何かしら発見があるかも。

関連エントリー

『ボクの音楽武者修行』小澤 征爾 オーケストラとサッカーのアンサンブル

『海辺のカフカ』村上春樹 万物はメタファーである
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