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今こそAIR JAM'97を振り返ってみる!

9月に入ってすっかり秋の足音が聞こえてきた今日この頃。そうこうしてるうちにもうAIRJAM2011目前じゃんよ~。

今年は11年ぶりのAIRJAMだし、どうせならこのタイミングで前のAIRJAMを振り返ってみるか、ってことで今回のエントリー。今回は97を振り返ってみるよ。とはいえ当日の写真なんか一枚も撮ってないし、もう14年も前のことなので、記憶も相当に曖昧だけどね~。



当日まで

当時は部活に青春を捧げていた一介の高校一年生でした。たまたまAIR JAM当日の部活が休みになったんで、ハイスタ見たさに5日ぐらい前にぴあの窓口でチケット買いましたね。値段は1980円。破格ですよそんなもん。

97当時はまだ開催直前でもチケットが買えちゃう牧歌的な時代だったんですねぇ。ちなみに当時AIR JAMに出るバンドで知ってるのはハイスタとハスキンのみ。他にも似たようなメロディとコーラスのパンクサウンドのバンドを発掘できるのかな~なんて期待してたのは、今思えばほんとウブだったなぁと思わざるを得ない…。当時周りにハイスタ知ってるやつも少かったし急遽行くことにしたので、まさかの1人参加でした!

当日

迎えた当日、有明に向かう有楽町線車内が、目的の駅に近づくに連れてだんだんといかついパンクスで埋め尽くされて行くのはとにかく異様な光景でしたねぇ。クソ熱いのにイボ付き革ジャンとか着てる兄ちゃんいたし、一般のお客さんビビっただろうな~。

現地到着。会場後方から中に入ってまず手前左側に物販ブース、会場中央のPAの後ろ側にスケートボードランプ。そいで正面にステージが見える。ここで驚いたのはアリーナに椅子が全くなく、だだっ広いコンクリの広場だったということ。その頃はLIVEには何度か行ったことはあったんですけどオールスタンディングのライブは全く経験がなかったんで、えっどういうこと?って戸惑ったりなんかしちゃって。

それと入場口で配られたこのEAT MAGAZINE号外版を読んでたら、「相次ぐステージ・ダイブや、たび重なるモッシュにより多くの怪我人が続出し、全体の約10%程度の千人のみが無償で帰宅するという大惨事となった」とか書いてあるし…。いや、冗談だっつーことぐらいもちろんわかるけど、こっちは何も知らんからビビるじゃん…。

↓これ今読み返してもホントくだらなくて最高!
EAT MAGAZINE号外

オープニング

ハイスタの難波さんがウォーターガンで放水しながらステージ上からあいさつ。会場にいたパンクスたちが一斉に歓声をあげて前に詰め寄る…。なんか圧が凄い、圧が…。痛い…。

最初にいっときますけど、いちいち詳細のライブレポなんて書けるわけもないんで、そのバンドを観たときのイメージだけ書いてくからね。ライブレポが読みたい人はこちらのサイトをチェック!⇒TOUR REPORT/AIR JAM '97

コークヘッドヒップスターズ

これがね…、もうもんのすごい衝撃…。これまでJ-POPや、メロコア(あえて使いますこの言葉)とかどちらかといえば耳に優しい音楽ばかりを聴いて来た自分には、この世にメロデイがなくてただただ轟音で、ヤバイ宗教の呪文っぽいのをひたすら吠え続ける音楽があったのか!?と一気に震え上がりましたね…。

それに人の頭の上を暴れながら浮遊するダイバーと、どう見ても殴り合い・どつき合いしてるようにしか見えないモッシュピットにはムチャクチャ度肝抜かれましたよ。下、コンクリなのに…、頭おかしいの…?、死ぬの…?みたいな。

まぁ後から思えばコークヘッドはまだレゲエ調だったりして聴きやすい要素もあったんですけどね。ただ色んな意味で初体験だったので、全部ひっくるめて相当なカルチャーショックを喰らったつっーことだけは脳裏にこびりついてるわけ…。

グラビー

怖すぎるこの人たち…。コークヘッドですら解釈不能だったのに更に硬派で重いサウンド。胃に鈍痛がくるような気がして、早くも「今日、大丈夫かオレ…」ってなって青ざめてましたねぇ。

ガーリックボーイズ

ラリー兄さんが「前夜祭から前ノリして二日酔いですぅ〜」とか言いながら出てきて、物腰柔らかそうな印象を与えたのもつかの間、始まってみたらやっぱり轟音ハードコアサウンド…。どうなってんだ、このイベント…。

でもこの人たちの曲、「ちょっとっ!アンタッ!飛ばし過ぎっ!」なんてコミカルな日本語だったので、ほんの少しだけ救われた感もありましたね。

スラング

メンツの正式発表にはクレジットされていなかったものの、ステージに突如登場したハイスタ健くんから「札幌のライブではいつもお世話になっている兄貴分的存在を紹介します」と呼び込まれて出てきたのがこのスラング。まぁこちらもグラビーさんに負けじと劣らずのどさんこ硬派ハードコア。ホントもう限界…。

ハスキングビー

と、まぁこの時点で轟音と阿鼻叫喚の状況に、完全に肉体的にも精神的にも異常をきたしそうな勢いだったんですけどねぇ。そんなノックアウト寸前の状態に清風を送り込んでくれたのがお次のハスキングビー。完全に自分的前半戦のハイライトでしたねー。

「新曲やります」って言って始まった「A SINGL WORD」の伸びやかで優しいメロディは忘れられないですねぇ。1st
アルバムのGRIPを聴きまくってたので、ようやくに耳になれたメロディのある音が流れ出して、こんなにメロデイに合わせて歌えるのが素敵なことなのかと身に染みたのって後にも先にもないですよ。

それとボーカルのイッソンのMCがまぁ素朴でね、オーディエンスから「頑張れよー」とか言われまくってる…。結婚式でガチガチに緊張した新郎の挨拶じゃないんだからさ…。でもひとたび曲が始まれば会場を一つにしちゃうんだから、この人たちの愛され方って、なんかいいよなーなんて思いましたね。

あともう1こ、忘れられないのがハイスタ以外でこの日唯一のアンコールをやったこと!おそらく予定にはなかったんだろうけどあまりにも会場のアンコールの要求がデカくてね、「なら…、やりますか…」みたいな感じでおそるおそる出てきてジャーンとやり出したんですよ。もう場内大歓迎で一気にまたアゲアゲムード!

しかもそこで演った曲が「GO IT ALONE」!この曲、1stアルバムでも一番好きな曲だったんだけど、ここでキタかーーーっと!

ちなみにこの後ハスキングビーのライブは単独LIVEからいろんなイベントまでおそらく2ケタ以上は観たけど、「GO IT ALONE」を観れたのはこの時1回だけでした。そういう意味でもAIR JAM97のハスキンは自分にとって忘れられないLIVEの一つなんですよねー。

ヌンチャク

ハスキンでエネルギーを取り戻したのもつかの間、お次のヌンチャクでまたも撃沈。ツインボーカルの小さい方(KUNI)の金切り声と、でっかい方(向井)の低音ボイスの組み合わせ。このコンビ、ハードコアに免疫のない人間を気持ち悪くさせるという意味ではある意味最強最悪の組み合わせといっていいでしょう。しかもこのとき向井が足をけがしていて松葉杖をつきながらのステージだったんですけど、それがまた独自のくねくね感を強調させて、ちょっとしたホラーのキャラクターのような怪奇な印象を与えてきてマジで怖かったですねぇ。

スーパーステューピッド

ステージに出てきたときに3ピースだったんで、お!これは!と思ったら、やっぱりメロディの比重の高いミクスチャーサウンド!やった!って感じでしたね。この人たちのCDは買お!って思いましたね。ちょうど日が暮れてきて夕暮れ時のオレンジがかった3人の絵が今でもハッキリと思い出せます。

ココバット

この人たちも強烈だったなー。具体的にはベースのTAKE-SHITが、超ムキムキなガタイでしかもバットマンのお面をかぶってるわけ。それで両手でベースをバシバシ叩くように演奏するのよ。今でこそレッチリのフリーのチョッパーとか見慣れてるから何とも思わないけど当時はその動き何?!みたいな。それに体の汗が夕焼けでオレンジに妖しく光って見えて、しかもやってる曲が「イナゴはー、スゲェー!」とかでしょ。もうね、マジで前で起こってる光景が現実なのか幻想なのかどうかもよくわからなくなってきて完全に脳内カオス状態に陥ってましたね。キテますねー。


ココバットが終了していよいよハイスタだー!という状況で、実は予定時刻を大幅にオーバーして待たされたんですよね。後で知ったんですが、このとき会場に消防署が視察に来ていたようです。完全に消防法で定められている収容人数を超えてお客さんが入ってたみたいで即刻中止のピンチだったらしいのですが、ちょうどハイスタが始まる前でキッズも大人しく座ってたりしたおかげでお咎めなしだったようです。これがハイスタが始まっていたらと思うと…。マジでどんだけ綱渡りなイベントだよ!

ハイスタンダード

もうね、夢のような時間でしたね。ずっと鳥肌立ちっぱなし。しょっぱなの「SUMMER OF LOVE」の間奏で全キッズがジャンプジャンプ!あの光景とあのカタルシスは一生忘れないっすね!

「SUNSHINE BABY」とかも正直そんなに好きな曲じゃなかったけどAIRJAMで見てから相当ヘビーローテしたもん。あと加山雄三の「ぼくのゆくところへ~ついておいでよぉ~」って曲やったりして、うわぁ初めて日本語で歌ってんの聴いた!とかね。

…で、まぁ正直言っちゃうと、とにかく歌うことに夢中になりすぎてて実は詳しいことはあんまりよく覚えてないんですよねぇ…。他のバンドの轟音を一日中浴びたあとの憧れのバンドの初体験、しかも夏の夜の解放感でしょ。もう通常の感覚ではないわけですよ。

でも、今まで見たライブで最も良かったのは?と聞かれたらやっぱりこのAIRJAM'97のハイスタを挙げます。それぐらいライブが終了した時の全身を駆け巡る感動といったらなかった。良いライブだったとか、満足したとか、そういうレベルじゃないのよ。なんかね、「これは一生忘れない。忘れるわけもない」って思った。完全に自分にとっては一生モンの特別過ぎる素敵なライブでした。全然このとき感じた感覚をうまく言えてないけどね。

振り返り

今でこそAIRJAMは'97、'98、2000ときて、震災があった今年、2011へと連なる壮大な文脈を持った伝説のイベントという捉え方をされてますけど、97年当時は別にそんな大仰な捉え方はされてなかったんですよ。まぁ歴史なんてあとから振り返って意味付けするものだから当然といえば当然なんですが。

ハイスタのメンバーもどっかのインタビューで言ってたとおり、ツアーのファイナルで大規模の野外ライブやりたいんです、程度のスタートだったし、実際5日前に余裕でチケットとれたし、一般的な煽りもほとんどなかったですからねぇ。

確かにフジロックがはじめて開催された年で、現在のような野外フェスが定着する前のイベントだったから、この年にエアジャムが行われたことのある種エポック的な因果をそこに見出したくなる感じもあるんですけどねぇ。

でも、ここはあえて超個人的なAIR JAM論を。自分にとってはオールスタンディングのライブも野外ライブも初めてだったし、ハイスタとハスキン以外知らないバンドだったし、ハードコアなんてほとんど聴いたことなかったし、むしろ絶対受け入れられない性質の音楽だったし、散々書いてきたように何から何まで全てが良くも悪くも衝撃的だったんですよ。

で、そのどでかい衝撃の根底にあるものは、バンド主導で極力DIYで作られたイベントであることの自由さっていうんですかね。一般的に広くは受け入れられないであろうアングラな音楽趣向の人たちが一同に介してのDIYのイベント。そしてパンクスたちがバンドたちを盛り立てるような、どこか双方向で自由で熱い雰囲気。それが高1のボンクラの目にはとてつもなく新鮮に映ったんです。こういう世界があったのかーって。

当時ってバンドがイベントを主催するっていう発想ってそんなになかったでしょ。どちらかといえばバンドはレコード会社にマネジメントされる立場っていうのが一般的たったから。それが今では10-FEETの京都大作戦とかアジカンのNANO-MUGENとかくるりの京都音楽博覧会とかさ、パッと思いつくだけでも結構出てくるようになった。そういうバンド主導の大型野外イベントの開催という一つの流れをつくったのはこのAIRJAM'97の大きな功績だと思うんですけど。どうでしょうか。

最後にAIR JAM'97とは何だったのか?と言われれば、少なくとも一人の高校生の人生観を変えた、それまでの既成概念を全部ひっくりかえしたイベントだった、と言う他ない。そしてそこからアナロジカルに、それはつまり音楽業界の既成概念そのものをひっくりかえしたイベントだったからなのだ、といってもいいと思えるんです。

というわけで次はAIRJAM'98を振り返ってみよう!とか思ってたけど、今回の文章書いててかなり疲れたし、めんどくさいので多分やらないでーす。

他記事↓
どうせだからAIR JAM'98も振り返ってみる!

ここまで来たらAIR JAM2000も振り返ってみる!

関連記事↓
【AIR JAM2011レポVol.1】Hi-STANDARD‐今この瞬間に生きている証

【AIR JAM2011レポVol.2】BRAHMAN‐信念を超えて…

【AIR JAM2011レポVol.3】マキシマム ザ ホルモン-愛さずにはいられない

【Hi-STANDARD at AIR JAM 2012 LIVE VIEWINGレポVol.1】-AIR JAM in 全国!!!

【Hi-STANDARD at AIR JAM 2012 LIVE VIEWINGレポVol.2】-I wish you were close to me!!!
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