You are not Logged in! Log in to check your messages.

Check todays hot topics

Search for Services:

Please Log in

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「足場のない感覚」が、価値判断を生み出す-『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』

この映画を観終わったときに残る「足場のない気持ち悪い感覚」を掘り下げていくことが、アートに向き合う時に忘れてはいけない姿勢なんだと言われてるような気がします。

イグジットスルーザギフトショップ



この映画はグラフィティアーティストのバンクシーが初監督を務めたドキュメンタリー作品。

バンクシーといえばゲリラ的に大英博物館に自分の作品を展示したり、パレスチナの分離壁に風船で壁を飛び越える女の子の絵や壁が破けて向こう側が見える絵を描いたりして、体制に訴えかけるメッセージをアートによって発信し続ける反骨のアーティストなんです。基本、法律違反スレスレというか、完全にアウトなことばっかりやるので覆面を被って顔を明かさず、インタビューを受けるときも声色を変えて臨んでいます。

そのバンクシーが監督した今回の作品の主役は、病的なまでに映像を撮影するのが好きな素人のおっさん。グラフィティアートの性質上、ほとんど知られることのなかったアーティスト達の作品に向かう姿勢や、実際に街に出てどのように作品を制作しているのか、その実態や役割をおっさんが撮った映像をもとに説明していきます。そしてそこに透けてみえるのが、ある文化活動がごく少数の一部の人によって生み出され、まだビジネスとは切り離された純粋なる創作の喜びと共にコミュニティが広がりを見せる幸福な時間でもあるのです。しかしながら後半に移るにしたがって次第に空虚なものが肥大化していく不穏な展開に…。

内容について詳しくは書きませんが「 感動大作じゃないけど ためになる映画だよ 」とバンクシー自身も劇中で語っているとおり、非常に含蓄の深いアイロニカルな内容になっています。

見る人によって、ものやアートの価値だとか、本物と偽者の見分け方、評価のされ方、メディアのあり方など様々な問題意識を喚起し、あれこれ考えているうちにズルズルと底なし沼にはまっていくような足場のない感覚に陥ります。

〝贈与を受けた〟とみなした人だけが価値を付与する

で、自分がこの作品を見て考えたこと。それはものの価値について。

人によって同じものでも「金をもらったってこんなものいらん」というものがあれば、「100万円出してもほしい」というものもある。

たとえばマルセル・デュシャンが便器に「泉」とタイトルを付けて作品として提出したときに「これぞアートだ!」という人がいれば「こんなもんただの便器やんけー!」という人もいる。

あるいはセックスピストルズがヘッタクソな演奏とボロボロの小汚いビジュアルで「アナーキーインザUK」をかき鳴らしたときに「これぞ革命だ!」という人がいれば「あんなもんただのうるさい騒音やんけー!」という人もいる。

これ、どっちも正しいんですよ。〝価値〟というものにはそもそも絶対的な判断基準などなく、自分にとってそのものを「贈与された」とみなした人が、そこに価値を付与するんです。同じものをみんながみんな同じように「贈与された」と感じることは絶対にありえない。

メディアや周囲の意見と、つながりを求めてしまう本能の癒着

でも、同時に人間は、細胞レベルで他の人とのつながりを求める存在でもあります。他の人が良いと言っていた、あるいはメディアで話題になっている、といった事象によって、自分の価値判断を掘り下げることをやめてしまい、周りの意見がさも自分の価値判断だと錯覚してしまうんです。メディアや周囲の意見とつながりを求める本能って相性が良くて、ほっとくとすぐに癒着し出すんですよね。

ちょっとそれますが、映画を観てて具体的に思い出したのは、90年代のJ-POP。カラオケ文化の盛り上がりによってカラオケで歌われることを念頭に置いて生み出された楽曲群と、ドラマ・CMのタイアップ偏重、オリコンチャートがクロスオーバーした大衆表象的音楽が絶対的だった時代。アンダーグラウンドでカラオケに乗っからないような音楽を聴いてる人は結構肩身狭かったですよねぇ。自分はあの時に感じてた違和感、今でもありありと思い出せます。でも本当に自分自身の価値判断で音楽を聴いてたのはどっち?とかね。

最近だとサッカーの評論家で杉山茂樹さんという人がいるんですけど、日本代表が勝って専門家もそれなりに評価する試合をしても、独自の意見で結構辛口言うんですね。で、それがネットでむちゃくちゃ叩かれたりする。でも、自分としてはメディアも多くの専門家も同じようなことしか言わないんで、この人の意見は面白いなぁと好意的にみてるんです。というかどれだけ叩かれようとも自分に嘘をつかず自分の意見を言いきる姿勢も込みで関心をもっています。

つまり何が言いたいのかというと、自分にとって本当に価値があるものかどうかは、メディアや周りが騒ぎたてるからではなく、自分で判断しなさいということなんです。本物か偽物かどうか、それは自分で確信をもって言いきれ!ってことです。

この映画が残す「足場のない感覚」が、自分の価値判断を生み出す

もっというとこの映画を見終ったときに胸に残る底なし沼のような「足場のない感覚」。これ、むちゃくちゃ気持ち悪いですよね。とりあえずの結論という足場に立つことができずにもがいてしまう感覚というか。それを取り除くには自分はこの映画でこんなことを考えた!こう思う!って自分で言い切るしかないんですよ。自分で足場をつくるしかない。

その行為こそが、実はてめぇの頭で考えて判断することそのものなんです。本来すべてのものに決まった答え・決まった結論なんてあるわけもなく、一人ひとりが価値判断に基づいてその都度自分なりに考え決断を下すしかない。人の考えとかメディアの情報とか、そんなもんは邪魔でしかない。人がアートに接するとき、あるいは広く人・もの・コトに触れるとき、オマエは一体何を感じた?ってことなんですよ。

この映画のアイロニカルかつつかみどころのない構成が、既にそういう行為を自然に導くようにデザインされているところに、バンクシーまじ才能ありすぎ…と唸らざるを得なくなるんですよねぇ。

というわけで、あなたもバンクシーが作り上げた底なし沼にズルズルはまってみません?

バンクシーの作品集↓
Wall and PieceWall and Piece
(2011/07/07)
Banksy(バンクシー)

商品詳細を見る
スポンサーサイト

COMMENT

管理者にだけ表示を許可する

TRACKBACK

トラックバックURL:

    (copyボタンはIEのみ有効です)
« | HOME |  »
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。