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希望の教育・教育の希望-『プレシャス』

生まれてきた人間は誰しも「宝物(プレシャス)」(涙…)。

プレシャス [DVD]プレシャス [DVD]
(2010/11/05)
ガボレイ・シディベ、モニーク 他

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アメリカでは一昨年、日本では昨年公開されていた映画『プレシャス』。大評判でしたがなかなか観れず、ようやくDVDで鑑賞しました。

あらすじは作品情報 解説・あらすじ- Yahoo!映画から引用します。

実父と義理の父によって妊娠を2度させられ、母親(モニーク)からは精神的にも肉体的にも虐待を受ける16歳の少女プレシャス(ガボレイ・シディベ)。悲惨な家庭環境に生きる彼女は、学校の先生や友達、ソーシャルワーカー(マライア・キャリー)らの助けを借り、最悪の状況から抜け出そうとするが……。


この目を覆いたくなるような主人公・プレシャスの境遇。辛すぎて言葉もありません…。それでもこの映画は「希望の教育」「教育の希望」についての映画です。と、勝手に言いきってみます。

凄惨かつ困難な状況であっても、たったひとつのこと、「文字で自分を表現する」ことで人は前に進むことができるという根源的なメッセージです。また貧困、幼児虐待、近親相姦、若年ママなどの社会問題をも内包しています。

以下、感じたことを3点ほど。『希望の教育学』という教育の名書に近いイズムを感じたので、ここからの引用を交えながら。
希望の教育学希望の教育学
(2001/11)
パウロ フレイレ、Paulo Freire 他

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(1)「いま」「ここ」から、読み書きを覚えること

成人識字コースにきている人びとは、文なり語なりの読み書きの技術の習得をめざし、つまりは自らを識字化しようとしている。言葉の読み書きは、しかし、世界を読むことをとおしておこなわれるものだ。語を読むことに先立って世界を読むという行為があるのだ。

読み書きをおぼえることは自分の人生を語る言葉手に入れると同時に、自分以外の人生を理解することなのです。読み書きを通じて人は世界とつながり自立への足掛かりを得ていきます。

冒頭、プレシャスは、この凄惨な状況が「いつか何かが変わる日がきたらいいのに」と心の声で語ります。つまりこの時点では「ここではないどこか」に私の本当の人生がある、と捉えているわけです。

結果的にプレシャスは虐待を続けてきた母親から自立し、自由を手に入れる至るのですが、それはたまたま運よく誰かに「ここではないどこか」へと連れてってもらったわけではありません。

進歩的な教育者がとりうる唯一の道は、教育者の「いま」と「ここ」から出発することであり、彼の現在のありようを受け入れることからしか、ことは始まらないのだ。そうすることによってこそ、かれとともに、その「未熟さ」を批判的にのりこえていくことができるのだ。

言語環境の全くない「いま」「ここ」から小さな一歩を踏み出し、徐々に読み書きを通じた自己表現を積み重ねることによって、プレシャス自身が「ここではないどこか」へと歩みを進めるのです。

そのプレシャスの姿は、たったひとつのこと、「読み書きをおぼえ自己表現すること」の「希望」を我々に教えてくれるのです。

(2)「希望」を視覚的に象徴する「色」

冒頭に出てくるグレー1色の画面に映える赤いスカーフ。これに象徴される「色づかい」がこの作品全編におけるちょっとしたアクセントになっています。

プレシャスは劇中、常に赤や黄色やオレンジのスカーフまたは衣類を身につけています。これは惨い境遇にありながらも常にどこかに「希望」を捨てていないことを暗示しています。

同様にプレシャスと一緒に読み書きを学ぶ女の子たちもまた、何かしら色みのあるものを身につけてます。また最初の自己紹介でも「好きな色は?」という質問項目があったのも同様の意図ではないかと思われます。

それに対し、プレシャスに虐待を続ける母親のいる希望のない家の中は、常にうす暗くセピア色のような、色みの全くない空間として描写されています。この対比によって、希望のない世界の中にあっても希望を捨てないプレシャスの健気な生命力が視覚的な彩りとあいまって伝わってくるのです。

クライマックスの直前に、とあるお母さんと子どもが出てきます。見た目や会話からして明らかにプレシャスと似たような境遇にあるこの子に、プレシャスは自分の身に着けていたスカーフを渡します。

何気ないシーンですが、ここはものすごく好きなシーンです。

かって自分の希望のよりどころにしていたスカーフを、自分よりも更によりどころを必要としている者に渡す。それはプレシャスにとって、よりどころを必要としなくなったことを意味し、自立し、虐待や辛い境遇の連鎖を断ち切り、むしろ希望の連鎖を生み出していく決意表明の場面ではないかと感じたのです。

またクライマックスのプレシャスの母親の激白の中に出てくる「赤ん坊のお前(プレシャス)を、ピンクの枕に寝かせた。そこには白い刺繍で(precious)と書いてあった」という言葉。この色みのある言葉に、プレシャスに純粋な愛情と笑顔を注いでいたであろうかってのこの母親の姿が生起されるのです。

(3)母親との決別。それは、自由になり自由にさせること

「抑圧者は、他人を虐げ、抑えつけたからと言って、だからといって人間として存在できているわけではない。被抑圧者は、自らが人間として存在するためのたたかいのなかで、他者を抑圧し蹂躙する権力を抑圧者から剥奪し、それによって彼らの人間性をも回復していく。抑圧を行使することによって失われて行った彼らの人間性を、だ」

「被抑圧者のみが、自分を自由にすることによって、抑圧者をも自由にすることができるのだ。

ラストの母親の激白のシーン。プレシャスはここで母親のこれまでの自分に対する理不尽かつ凄惨な行動の理由、母親の浅はかさ、弱さを全て受けとめ、その上で決別し、精神的に完全な自立を果たします。

ここで何より素晴らしいのは、自分が自立し、自由になることで、母親をも自由にしていることです。それまでプレシャスを貶めることでしか自分の存在価値を見いだせなかった母親が、プレシャスの成長を認め、プレシャスへ依存していた自らをそこで初めて認識します。

プレシャスの成長を抑圧していた母親が、被抑圧者のプレシャスの成長によって、母親もまた人間である自分を取り戻し、自由になるのです。

「いま」「ここ」を受け入れ、そこから前に進もうとする者は、周囲の人間をも前に進ませるのです。

自分をばかにしちゃいけません…

とにかく、あらすじだけ見ると非常に重苦しいテーマで、観る前は気が滅入りそうになるかもしれません。でも結果的に画面の端々から希望を感じさせる作りになっているし、何よりプレシャス演じる主演の女優さんの力強い演技と笑顔を観ていると、むしろ光が差し込むような明るく眩しい映画とすら感じてしまいます。

自分をばかにしちゃいけません。どんな人生もその一つ一つが長編映画。だから人生を文字にして表現する。決して希望を捨てずに、小さい一歩を積み重ねて階段を上っていく。

大きな大きなプレシャスの姿から、大きな大きな宝物(プレシャス)を得ることでしょう。ぜひご覧ください。

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