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『キッドのもと』浅草キッド 弱いからこそかけがえのない男の物語

〝男〟って弱いですよね…。統計的に女性に比べて平均寿命が短く、病気にもなりやすい。もっといえば、いつまでたっても子どものままで、さみしがりやで、情けなくて…。

自分自身で新しい命を産み落とすことができない"男〟。それはこの地上にある永遠のように続く壮大な生命の連なりの中で、ふとした瞬間、そこに参画できていない孤独感や疎外感を感じながら人生を捧ぐ生き物なのです。それらを全部ひとくくりにして、ひとことで言ってしまえば〝男の哀愁〟ってことなのかもしれないけど。

この物語は、ある意味では突出した才能を持たない、哀愁を湛えた典型的な2人の〝男〟の、しかしながらそれゆえにまばゆく光輝く特別な物語です。

キッドのもとキッドのもと
(2010/09/08)
浅草キッド

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本書はビートだけしの元に導かれるように馳せ参じ、そこで出会った2人の男、浅草キッドの水道橋博士と玉袋筋太郎が織り成す自伝的エッセイです。芸人社会の絶対的ヒエラルキーにおける身を刻むような壮絶体験から、青臭くも温かく優しさにあふれた周囲の人間への愛情まで、スッポンポンになるまで全てをさらけだし書きつづった渾身の一作です。2人の語り口は微妙に違えど、視点のズレが交錯したり折り重なったりしてより深みや味わいを感じられる作りになっていて、そこがまた何とも良いんです。今年読んだ中で最も自分に突き刺さった一冊です。

彼らが出会い、その生き方を突き進むきっかけとなったビートたけしの言葉をこのように綴っています。

ビートたけしの言葉を真に受けると、まるで幽体離脱したかのように自分の意識が浮き上がり、気持ちが晴れ晴れと澄み渡っていき、今そこにある風景が変わって見え、全ての迷いが一瞬にして消え去った。
それはまさに天から落雷のように降りてきた啓示だった。
「なんだ、今、ここにある悶々なんて、全て笑い飛ばせばいいんだ!」
そう思うと、突破口が目の前に見えた。

水道橋博士

中学時代のオレはクラスでマイノリティだったし、学校が本当につまらなかった。そんな憂鬱な気分を一発で洗い流してくれる、一週間の最大の楽しみが、毎週木曜の深夜に放送されていた『ビートたけしのオールナイトニッポン』だったんだ。

玉袋筋太郎

中盤まで読み進め、これらの「啓示」を受け取った際の心情を示す文章を読んだ時に、ふと少し前に読んだある本を連想しました。『切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』という本です。そこには真に「文学を読む」ことについてこう書かれています。

問い詰めなくてはならない ― 本を読んでいるこの俺が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか、と。

本を読む、テクストを読むとはそこまでのことです。自分の無意識を引き毟るようなことです。自分の夢も心も身体も、自分が生きている世界何もかもを、今ここにある白く光る紙に生える文字の黒いつらなりに投げ出すことです。

切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話切りとれ、あの祈る手を---〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話
(2010/10/21)
佐々木 中

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つまり文学=テクストを真に読むことは、そこに書かれていること受け取ってしまったことを、全て引き受けざるを得なくなるということ。そこに自分の全てを投げ出し、その生き方を全うせざるを得なくなる、ということです。もちろん文学とは本のことという狭義的なものではなく、スポーツや詩や音楽やアート、そしてお笑いなど人間のあらゆる創造的な営みの中から生まれたもののことを指します。

おそらく浅草キッドの2人はビートたけしの、ラジオから聞こえてきた声を真に「読んで」しまった。神の声として、啓示を受け取ってしまったのです。それは上記の本に倣えば「革命」と呼べるものだったのかもしれません。

「読んで」受け取ってしまったからには自分に問いかけるしかない。「俺が狂ってるのか、それともこの世界が狂っているのか?」と。こうして彼らは生粋のビートたけし原理主義者として生きる道を決めた。というよりもそう生きざるを得なかった、ということなのかもしれません。

そして、こうして使命を持ち、革命を起こし続ける2人の生き様は、時に無様で時に破滅的であったとしても、どうしたってカッコいいし、どうしたって輝いて見えるし、どうしたって特別だってことですよ。それはもう間違いない。

と、ここまでエラそうに人の人生のこと、さも全てわかったかのように御託を並べてきた自分の脳裏に、ある問いがよぎる…。

「じゃあオマエはどうなんだ?」と。

「オマエはキッドの2人のように、何かに向かって己を投げ出し、破滅に向かってもいいと思えるほどの使命を全うして輝いて生きてきたのか?」

「そうでないなら、そんなオマエに偉そうに御託を並べる資格はあるのか?」と…。

しばし悶々として出てきた答えはやっぱり否。到底自分は彼等のように特別な生き方はできないし、現にしてこなかった。一瞬情けなさというかむなしさみたいな空虚な感情に襲われる…。

でも…、本書を最後まで読み終えてから、ふと気付く…。

自分も…、もしかすると彼等には遠く及ばないが、それでもちょっとした狂気にも似た使命感を感じ、小さな革命を起こしたりしているんじゃないのか…、と。

例えば本を読み、映画を観て、そこに描き出される自分が住む世界とはまったく別の異空間に迷い込み、あたかもリアルに自分がそこに居るような錯覚を起し、それ以降、現実の世界の眺めが一変してしまったり。

ステレオから放たれるロックンロールのビートに心を撃ち抜かれ「未来は僕らの手の中だ!」と息巻いていた全能感の塊のようだった十四才の頃に、ふいに引き戻されてしまったり。

ラジオから届けられたラジオパーソナリティ女史の「あなたの日常に転がっているくだらない話も下ネタも、その全てが等価であり無二なんだよ」というさりげなくもラジカルな言葉に、それまでの何気ないに日常がキラキラ輝いて見えるようになったり。

そうでなかったとしても、仕事で思いかけず誰かに喜んでもらったことが無償に嬉しかったり、可愛がっているペットと、言葉は通じなくても、なぜだか言葉のコミュニケーション以上に深いつながりを感じられたり。

そしてスヤスヤと一点の曇りも無い清清しい顔で寝ているわが子を見つめながら、己の生の意味を確信し、騙されているかのように謙虚な気持ちで、ただただ生かされていることに感謝した夜があったじゃないか、と。

誰にだってふとした時、なにがしかのテクストに触れ、そこに思いもかけず自分の人生の全てがシンクロし、「生まれ直した」ような瞬間を味わうことがあるはずなんだ。そのことに気づくのです。

自分は日々それらに生かされ、それらのために生きている。だからこそ「でも、やるんだよ!」なんだ!!



……

ラストの「家族のもと」の章では、奇しくも2人とも「俺はビートだけしの息子だ」と全く同じ言い回しで師匠への想いを表現しています。そして本当の父親、息子(家族)にも純粋でストレートな愛情を捧いで本書は幕を閉じるのです。

ここから、生命医学的には弱き者とされる〝男〟の、弱いからこそかけがえのない壮大な生命の連なりの物語を思わずにはいられなくなるのです。それは遥かなる永遠のような宇宙の生成の中で、たった一粒の砂のような弱い存在であったとしても、ほんの一瞬でも自分は生かされ、生きているのだという確信に満ちた輝きを放つ、男のロマンの物語なのです。

だから本書は誰もが読める本ですが、やっぱり〝男〟にこそ絶対に読んでもらいたい一冊なんです!

キッドのもとキッドのもと
(2010/09/08)
浅草キッド

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合わせて読めば更に味わい深くなる↓
お笑い男の星座お笑い男の星座
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お笑い 男の星座2 私情最強編 (文春文庫)お笑い 男の星座2 私情最強編 (文春文庫)
(2005/08/03)
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