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受動的な「恐怖」と能動的な「恐怖」。

一寸先は闇、、、

なんていう言葉がまさにそのまま当てはまっちゃうような現在の社会状況ですけれども、そんな状況を反映してか、「恐れ」について色々と考えている方が増えているようです。

恐れを感じていなければ、成長はない | Lifehacking.jp

痛みが危険を教えてくれると同じように、未知に対する恐怖、未確定な状態に対する不安感にも、自分がおかれた状況を客観視できるようになるための積極的な意味がある
1.恐れは危険を教えてくれる
2.恐れは成長の途上にあることを保証してくれる
3.恐れは何が大事かを教えてくれる
4.恐れは満たされていないギャップを明らかにしてくれる

ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <恐怖の効用とは?>

ほんとうに、よくよく思い出すべきではないか。
恐怖のおかげでできたことが、
あなた自身の人生のなかで、どれだけあったのか?

親も、先生も、先輩も、主人も、上役も、監督も、
怒鳴ったり脅かしたりして、うまくいったことが、
いつ、どれほどあったのか考えてみてほしい。

自分も前に『ドラゴンヘッド』を読んだときに色々と「恐怖」というものについてあーでもないこーでもないと考えたことがありました。
ドラゴンヘッド (1) (ヤンマガKCスペシャル (519))ドラゴンヘッド (1) (ヤンマガKCスペシャル (519))
(1995/03)
望月 峯太郎

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この漫画では「恐怖」という感情にとらわれてしまって破滅に向かってしまう者、「恐怖」という感情そのものがなくなってやはり破滅に向かう者、そして「恐怖」という感情を受け入れることができた者の3者のコントラストを描いて、人間の持つ「恐怖」という感情がどんなものかを問う作品だと認識しています。

「恐怖」には人を成長させる積極的な意味があるという人もいれば、「恐怖」のおかげで何かができたことなど何もないという人もいる。

私自身は「恐怖」とは「余裕」とトレードオフの関係にあるのだとも思っています。「余裕」とは辞書を引くと「1 必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。2 ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること」と出ています。

「恐怖」の感情が大きくなればなるほど「余裕」がなくなる。つまり「心のゆとり」が無くなるような気がします。これでは気づきをえることも何かを学び取ることも、ましてや成長なんてできるはずもない。

それは「恐怖」とは自らの力では抗えようもうないこと、例えば「死」であるとか、例えば「自然災害」だとか、とにかく自分の力ではどうにもならない強大な何か、そんなものから派生するからじゃないのかと。恐怖とはつまり受け身の感情。

しかしもし仮に「恐怖」という感情が自分を成長させてくれるとするなら、それは「危機感」と置き換えると腑に落ちませんか?「危機感」とはこれまた辞書を引くと「今のままでは危ないという不安や緊迫感」だと。つまり「恐怖」対して能動的。

「恐怖」が人を成長させるか、破滅に向かわせるかは、つまり受動的か能動的か、の違いなのではないんじゃないのか?と、思ったり思わなかったり…。

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