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『野ブタ。をプロデュース』白岩 玄 この世は舞台で、人間は役者にすぎない


「野ブタ。をプロデュース』といえば、修二と彰。といってもドラマ版は全く見たことがありません。あのバカ売れした曲に関しても、そういえばそんな曲が売れてたっけな…程度の知識。

その『野ブタ。をプロデュース』の原作を読みました。筆者の者の白岩さんと糸井重里さんの対談をこちらで拝見し、どうしても読みたくなって急遽購入。

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白岩 玄

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原作では彰というキャラクターは出てこず、プロデュースするのも女の子ではなく、男です。

簡単なあらすじとしては、デブでイケてない編入生、信太君という男の子を修二が人気者に仕立てようとプロデュースをしていく話し。

修二のプロデュースによって、自分以上の自分を演じることで本当の自分を獲得し、成長していく野ブタ君。それとは逆に人気者を演じ、周囲の人間をコントロールしていると思い込んでいる修二自身が、最終的にその演じ続けた虚構の自分を見破られ、見捨てられるという対比の構造です。

これを読んで思い出したのは

全世界は舞台だ。そして、すべての男も女もその役者にすぎない。

というシェイクスピアの言葉

この世の中に生まれてきた全ての人間は、なにがしかの役を演じている。簡単にいえば子どもとしての自分、親、学生、職業人、地域人としての自分などそれぞれの役割、というとイメージし易いでしょうか。自分なりにそれぞれの役割を演じているわけです。この辺はまぁ思い当たるというか、うんまぁ納得、という感じですよね。

そしてもっといえば、人はどんな役割を演じるにも、自分の行っていることに心の底から感情がこもるようにしなければいけない。観客との感情的なつながりをつくることが大切なのではないでしょうか。

むしろその役を演じきり、役に自分の内面を投影することで、ようやく他者の反応から自分という存在を認識できるのだとも解釈しています。

その意味では野ブタくんは、自分の与えられた役を感情をこめて演じきったのに対し、修二はそれが出来ない。というか人気者を演じれていたと思っていたのに、実は違っていた、と。

役を演じながら感情的なつながりを恐れ、適度な距離感を保ち続けると、距離を縮めたり、逆に遠ざけられたりすることに適応できなくなる。そこから抜けられなくなってしまう。感情を押し殺していると、その感情が上手く出せなくなってしまうことに似ています。

本当は感情的な繋がりを求めている自分自身を再び着ぐるみの中に押し込んでしまう修二。再び虚構の自分を選び、ループしていくという結末がなんともやるせない、そんな物語なわけです。

この本が何故売れたかって言うのを考えると、こういう「自分って何だ?」という悩みを抱えやすい10代の層が読みやすい、決して難しい言葉も複雑な描写も使わないで、人間の2面性を表現する文章につきるのかなと感じます。

読書経験豊富な年輩の方が読まれるとどうかな?という気がしますが、良い意味で広く受け入れられる本だなあと実感。

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