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『おくりびと』 「死」から「生」は始まる

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ここのところもちきりの話題といえばアカデミー賞の外国語映画賞をとった『おくりびと』。早速自分もミーハーさ全開でこの波にのっかって仕事帰りに有楽町マリオンへと観にいってきました。

いやいやいや、凄いですこの映画。今さら私が凄い凄いといったところで、何の足しにもならないんですが、、、でもやっぱり凄いですこの映画。

一言で言うと、人の「死生観」を問いつつ、しかしながら色々な示唆を与えてくれる温かくも包括的な映画。あと音楽も非常に良いですよね。適切なタイミングで適切な音楽が奏でられるので、スッと心の中にしみわたるようなそんな感覚でした。

具体的には、亡くなられた方のお体を清め、生前元気であった姿のようにメイクを施し、死に装束を着せ、旅立つ人に寄り添う納棺師、つまり「おくりびと」を描きながら、人の死生観を問う映画なんですけれども、それだけでなく
■人の職業観
■自己実現と幼児性
■親と子

などなどどんな人にも必ず訪れる、抗うことのできない「死」を受け入れることと、それを受け入れるための「生」の時間において、どのような葛藤に人はぶち当って乗り越えていくのかという非常に根本的な生けるものにとっての避けようのない主題を、それこそ全く重々しくせずバランス感覚あふれるユーモアを交えながら、示唆を与えてくれる映画なんです。

■人の職業観

納棺師という職業をそれこそ私は知らなくて、やっぱり感覚的に葬祭に関わる仕事に対してはどうしても変なイメージを抱いていましたし、同じように映画の中でも奥さんや幼馴染みからも蔑みの目でみられているんです。しかし主人公はそこに対してなにも反論しない。そしてただ誇りと情熱をもって自分の仕事に徹する。何の仕事が良い仕事で、何の仕事がよろしくない仕事なのか?何が普通で、何が普通じゃないのか?別にそんなものは関係なくて、何かの仕事に従事するその人が己のアイデンティティと密接に繋がるような哲学をそこに見出すのなら、その仕事には誰にも犯すことのできない真の尊厳が宿るのです。納棺師や銭湯の人、火葬場の人、そして最後に出てくる哲学の無い納棺師との対比がそれを教えてくれます。

■自己実現と幼児性

ほぼ日刊イトイ新聞 - 死を想う
↑ここで主演の本木雅弘さんと糸井重里さん人類学者の中沢新一さんとのこの映画についての対談が載っていて非常に興味深くて必見のコンテンツなんですけど、この中で主人公が子供用のチェロを弾くことの考察がなされています。どのように考察されているかはここを覗いて頂きたいんですが、私も子供用のチェロというところには示唆があるような気がして着目していました。

主人公にとって子供用のチェロを弾くということは、幼児期の頃の父親と母親がいたかけがえのない大切な時間を思い出す安らかな気持ちを取り戻す心理学でいう「退行」の行為ではないかと感じました。納棺師という人の死と向き合い続けつつも周囲から誤解を得やすい職業を通じて、自己実現を目指す過程における、葛藤や迷いを鎮めるための安らぎをそこに求めているのではないかと感じました。

「退行」とは、母親の胎内にいる頃から幼児期までに得た安らぎを得るために、その頃の行動とよく似た行動を大人になってからもとることです。例えば簡単なものなら寝る時に母親の胎内にいるかのようなひざを抱えたような格好で布団にもぐると落ち着くとか、ひざまくらをしてもらいながら頭をなでてもらうと落ち着くとか。

人は自己実現への過程の中で様々な葛藤にぶち当たった時、精神の休息を求めこの「退行」という行動で精神のバランスを図ろうとするんです。

では何故「退行」が安らぎをあたえてくれるのか?実はその理由はまだよくわかっていないそうなんです。ただなんとなく母親的な大いなる包括性を持った生命の源に触れるようなイメージがあり、そしてそれは死の世界とも共通するイメージなのかもしれず、このようなものを暗喩する表現だったのではないかと感じます。

■親と子

ラストの親から子へと石文が受け継がれていくシーンは本当に涙を誘いますが、これをみながらつまりは死生とは親子じゃないか?とそんなことを考えました。

言うまでもなくどのような親子関係であろうが、人はひとりで勝手にこの地上に現れるのではなく、自分が生まれてきて今ここにいるのは親がいるから。ということは自分が死ぬのもまた親がいたから。ですから自分自身の死生を想うとき、必ず無意識のうちに「親」という存在をも想うことになるんじゃないかと。

私自身「死」が恐ろしいのは、「死」というものに絶対的な孤独感に近いものを感じてしまうからですが、実は「死」とは孤独ではないんじゃないかと。大いなる「親的な何か」に帰っていくイメージに近いんじゃないかと、そんなことをこのシーンから感じました。


私たち人間は常に「死」というものが隣り合わせにあることを忘れたがる生き物で、「死」をどこか頭の片隅に追いやって生きています。しかしひとたび「死」を想えば、食べ物にしても何にしても、私たちの生は多くの「死」から成り立っていることを知ります。

この映画の中である人が言った「死は門である。死は終わりではなく次なる世界への旅立ちのために誰もがくぐる門だ。」という言葉に、少しだけ自分にもいつか訪れる「死」を受け入れることができるような考え方を得ることができましたし、そして「死」を受け入れることから本当の「生」が始まるのだとも感じることができました。

死はだれにも平等に訪れるからこそ、その「死」に寄り添って、生きているかのような姿で送り出そうという納棺師の、人間への平等の愛情をここに感じました!掛け値なしに素晴らしい映画だと思います。

世間で話題だからっと言って変にあまのじゃく的に食わず嫌いするにはもったいなさ過ぎる映画です!ぜひおためしあれ!

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