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「父と息子の物語」としてのトイ・ストーリー-『トイ・ストーリー1・2・3』

超今さらだけど『トイ・ストーリー』シリーズは、特に父親は絶対観ておいた方がいいって!泣いといたほうがいいって!いつか訪れる子離れの時の覚悟を持つためにもさ~!

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去年の夏から秋にかけて『となりのトトロ』に夢中だった娘っこが、最近はもっぱら『トイ・ストーリー』シリーズにはまっております。

トトロにみる子どものセンスオブワンダーを引き出す親のかかわり方-『となりのトトロ』

休みの日はだいたい1~3のどれかを1本観てるし、へたすりゃ2本観る勢い。昨年12月に念願のディズニシーの「トイ・ストーリーマニア」にも行くことができて、その余韻がまだまだ衰えることを知らず、むしろ拍車がかかってるかのように『トイ・ストーリー』の世界にのめり込んでます。

で、トトロの時と同様、子どもがそんだけ観てると親もまたえっらい観るはめになる。そうするとやっぱり親目線でいろいろ気づくこともあるので、その辺をまた書いておこうかと。

シリーズの1~3でいえば、自分はやっぱり3が最も好きで、特に終盤はほぼ号泣。それはなぜかといえば、カウボーイ人形の主人公ウッディの「父性」が濃く描かれてるからなんです。

『トイ・ストーリー』は、3作通じて「おもちゃ同士の友情」っていうテーマがまずどーんとある。そしてそこにぶら下がるようにして、例えば抵抗できずに使い捨てられるおもちゃの辿る顛末(労働者や労働観のメタファーにもなっている)だったり、子ども達の憧れが西部劇のガンマンから宇宙開発・宇宙飛行士に移行していくという近代アメリカの歴史と象徴の移り変わりだったり、誰もがいつか絶対的な死を迎える運命にあるのだという諦観だったり…。こうした様々なメッセージが並行して潜んでるわけね。

そんな中でとりわけ3に濃厚に感じられるのがさっきも言ったように主人公ウッディの「父性」。『トイ・ストーリー』って実は1から3まで、ウッディの持ち主であるアンディの父親が一回も出てこない。作品中で家族として出てくる登場人物は母親と妹だけ。元々いないのか、いるんだけど作品内であえて出してないのかはわからない。けどいずれにしても父親は一切出てはこないし、むしろ意図的に排除しているように見えるわけ。どうしてかというと、それはもう完全にウッディが父親の役割を果たしているってことなんだよね。つまり『トイ・ストーリー』とは実はウッディとアンディの「父と息子の物語」であるとも言える。

母親の役割(母性)が無条件の愛情で包み込むことなら、父親の役割(父性)とは社会性を教えること。この社会性の象徴としてウッディは描かれている。

ラストのシーンでアンディがウッディをはじめとするおもちゃたちを新しい持ち主の女の子に一つ一つ紹介するところがあるんだけど、そこでアンディは最後にウッディのことをこう紹介する。

「強いカウボーイで、勇気があるんだ。優しいし賢いし、でもウッディの一番すごいところは友達を見捨てないこと。絶対に、何があっても傍にいてくれるんだ」

ここは、アンディがウッディのことを深く理解していることを描きながら、実はアンディがそのセリフで言っていることを、ウッディから学んできたということを表してるシーンでもある。

それともう一つグッとくるのが、お互いに依存していた親子関係から、ついに両者がそれぞれ自ら別離を選択するところを描いてるとこ。

親子(あるいは師弟)ってのはいつか「育てる・育てられる」という関係から離れなければいけない。それが親子関係の大前提であるとも言える。その前提がなければただの依存関係であり、親子とは言えない。

3の冒頭では、大学入学のためにひとり暮らしを始めるアンディがウッディだけは大学の寮にに連れて行こうとする。ウッディのほうも保育園や別の女の子の元ではなく、あくまでもアンディの傍にいようとする。つまりまだ相互に依存しあってる状態で、親離れ・子離れが出来ていない状態なんだよね。

それがラストに向かって、お互いに自らが主体的に相手の傍からの別離を選択する。どちらも傍にいる形を選択しようと思えばできたはずなのに。

2人が本当の親子のように通じ合っていて、それでもそれぞれが同時に別離を決意するその内面の移り変わりという成長のプロセスを、直接的なコミュニケーションじゃなく(人間とおもちゃだから)間接的なコミュニケーションを通して表現されるわけ。アンディの語りのときはウッディ達はおもちゃとして無機質な状態のまま感情を表現しない分、ウッディ達がアンディの語りを万感の思いで聞いているであろうことが否応なしに想像されてしまって、これ以上ないほど感動が迫ってくる。。。

あとね、ディテールのとこにもちょっと触れとくと、オープニングで過去の幼少の頃のアンディがウッデイたちで遊んでいる映像が8ミリカメラ風の映像によって流される。その時にかかるBGMがシリーズ通してのメインテーマ曲の『君はともだち』なのね。この『君はともだち』はウッディの声で歌われていて歌詞は明らかにアンディに向けている歌なんです。ちょっと引用すると

俺がついてるぜ 俺がついてるぜ
辛いことばかりでも 君はくじけちゃだめだよ
思い出せよ ともだちを
きみのすぐそばに いつも俺がいる

俺よりもすごいやつは たくさんいるよね
だけど俺よりも君のこと
気にかけるやつは いないよ

っていうような歌ね。で、画面の8ミリカメラ映像がブツっと途切れるのが、ちょうど曲の最後の方の
「時が流れても~ 変わらないもの~♪」
という歌詞が流れるとこなんだけど、実はそのあとに来るはずだった歌詞とは………?

「それは~ 俺たちの絆」………。

つまり、『トイストーリー3』は「俺たちの絆」の映画なんだよってことをオープニングでちゃ~んと示唆してるんだよね。という都合のいい解釈…。

いやほんと父親はこれ観といたほうがいいって。ウッディに重ね合わせて、いつか自分にも訪れる子離れの時の覚悟を持つためにもねぇ…。

まぁ、こんな記事書いてる時点でオマエ相当子離れに難儀するだろ…って自分でも思うけどさ…。

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絶対的に欠けたものを抱えた生命の哀しき性-『哀しき獣』

新年早々、この作品のせいで切なさとやるせなさで打ちのめされそうになっております………。

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この年始、普段より多少時間ができたのをいいことに映画のDVD借りてきてひたすら観まくってます。そのなかでとりわけ余韻が残る1本について書き残しておくことにします。

本作『哀しき獣』は2011年公開の韓国映画でノワール・サスペンス&アクション映画ですね。朝鮮族と呼ばれる中国に住む朝鮮民族の主人公が、韓国に密入し、そこでさまざまなトラブルに巻き込まれ逃走劇を繰り広げるお話しです。

作品の構成としては全部で4章立てになっていて、
第一章:主人公の置かれている現状説明と殺人依頼による物語の幕開け
第二章:主人公が韓国に渡り、殺人を遂行するまでの計画段階から、遂行の瞬間に起きたハプニングによる最初の逃走まで
第三章:もういちいち説明するのもめんどくさくなるほど重厚でスケールの大きい逃走アクションとバイオレンスの連続
第四章:サスペンス筋の真相が明らかになり、アクションも文字どおりクライマックス、そしてエンディングへ
という構成。

第一章は定石といったつくりなんですが、第二章はサスペンス的なおもしろさと共に、準備を積み重ねていく主人公の描写によってなにか冒険の始まりのような徐々に期待が盛り上がっていく章でもあります。この章以降からエンディングに至るまでの約2時間は、ひたすら圧倒されっぱなしで釘づけになること間違いなしでしょう。何度も「うわぁぁぁぁ、もうダメだぁぁぁぁ!」とこっちの心が折れそうになるところからの驚異の粘りや、悪役のおっさんの無尽蔵の暴れまわりっぷりなど見どころは尽きません…。

なんですが、そうした見た目の画ヅラのスケール感とかプロット云々だけでなく、非常に根源的な独自の魅力がこの映画には宿っているんです。それは簡単に言ってしまえば、生命が絶対的に抱える切なさややるせなさみたいなもの。アクションやバイオレンス描写が多いけれど、それらが派手にエスカレートすればするほどに、むしろそうしたものが増していくのです。

自分がこの映画から感じたのはこういうことです。人がこの世に生を受けて生きていく、そこには何か絶対的に欠けたものが同居している。その、欠けたものを埋め合わせようとする、誰かに自分を受け入れてもらいたいという本能的な欲求、いわば生命の性(さが)がある。そしてそれはどこか切なくやるせない。

その至極個人的であり同時に普遍的でもある絶対的な性が起こす衝動が、交錯して連鎖してどんどん巨大な渦巻きのように様々なものを狂ったように飲み込みながら、破滅に向かっていくのがこの作品…。なので、もうとにかく切ない。こういうものが、ことばによる説明ではなく、作品全体を貫くどこかよるべなく儚い空気感によって醸成され立ち昇ってくるのがとにかく見事。

全然タイプは違うんだけど、同じ韓国映画の『冬の小鳥』も連想したりしました。『冬の小鳥』は孤児である幼い少女がどうしても自分を受け入れてもらいたいのにそれがかなわない境遇の中で、この世界がよるべない場所で、どうにもならないことがあるのだと悟る。そしてその時、少女は子どものままで大人になり、欠けたものを抱えながら別のモノでそれを埋めて生きていくことを決意する、という話し。

『哀しき獣』とは全く対照的で画ヅラもお話も非常に地味。登場人物は幼い少女たちが中心だし、そこまでたいした事件も起こらず淡々と進んでいく。アクションとバイオレンスが濃厚に繰り広げられる『哀しき獣』とパッと見全然似てなさそうにも思える。でも、生きているが故の本能的な苦しみを抱えつつも、覚悟を決めて生きていくのか?それとも破滅に向かうのか?その方向の違いだけで、やはり「欠けたものを抱えた生命の性」というものがこの2作品の根底には通奏低音として流れている気がします。

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ちなみに『哀しき獣』のほうも、劇中出てくる子どもはみんな女の子ばっかりなんですよ。そんなに多くはないけどお母さんと少女の2ショットが映るシーンが結構印象的なんです。主人公の娘にも、エンドロール後にそんな2ショットを予感させるシーンが差し込まれてるしね。このあたりにも何か生命の連なりみたいなもののメタファーを感じずにはいられなかったりするんですよね。

というわけで新年早々、切なさとやるせなさで胸一杯になってどうすんだ!?って話しなんですが、ふつうにエンタメとして最上級の作品だと思うのでぜひともご覧あれ。バイオレンスものがNGな人には向かないかもしれませんけど。

トトロにみる子どものセンスオブワンダーを引き出す親のかかわり方-『となりのトトロ』

子どものセンスオブワンダーを引き出すのには、親のかかわり方って超重要~!

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最近娘っこがジブリの名作中の名作『となりのトトロ』に完全にハマってます。休みの日なんて1日2回観ることもざらにあるし、この夏だけで30回ぐらい観てるんじゃないのって勢い。

それだけならまだしも、外歩いてると急に電線を見上げて「あそこにぃ、ねこばすがはしってるんだよぉ」とか言い出すし、ジブリの店で買ってあげたメイちゃんの指人形が無くなったときは「おかあさんのびょういんにいったのかなぁ?」とか超真剣な表情で言い出すw もはや現実とトトロの世界とがおもいっきり混同されてしまっとる…。2歳にして早くも「抱きしめたい作品」「わたしの映画」に出会っちゃったんだなぁきっと。

で、さすがに娘がそんだけ観てると必然的に親もまたえっらい観せられるはめになる。でも意外に自分が小学生の頃に観てた時には気がつかなかったことが多々あったりしてそれはそれでおもしろい。

というわけで親の立場から改めて観た『となりのトトロ』について。

まず『となりのトトロ』という作品は簡単に言っちゃえば「子どもの頃のセンス・オブ・ワンダー」と「自然や自然に宿る精霊への敬い」の作品だと勝手に思ってるのね。

センスオブワンダーとは「神秘さや不思議さに目をみはる感性」のこと。レイチェル・カーソンの本が有名ですね。

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子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になる前に澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
 もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない<センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性>を授けてほしいとたのむでしょう。
 この感性は、やがて大人になるとやってくる怠慢と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。


で、『トトロ』を観てて思うのは、サツキとメイのお父さんやお母さんのかかわり方が、子供たちの「センスオブワンダー」を引き出しているんだなぁってこと。

例えばメイが初めてトトロに出会った後、メイがサツキとお父さんの2人をトトロのところへ連れて行こうとするんだけど、どうしても行けなくなってしまう、っていうシーン。メイが「ウソじゃないもん!トトロいたもん!」って叫ぶと、すかさずお父さんが「ウソだなんてお父さんもサツキも思ってないよ。メイはきっと運が良かったんだよ。いつでも会えるわけじゃないんだ」と返す。それでその足で森の主の大樹に「これからも宜しくお願いします」とあいさつに行くのね。

お母さんも、あまり出てはこないけど、出てくるシーン出てくるシーンで子どものとっぴな発想に対して常に受容の態度を示す。サツキの手紙を読んでて「今日は、おばけのトトロに出会いました」って書いてても一切表情を曇らせることがないどころか、むしろ笑顔で受け止める。お見舞いに来たサツキとメイに「お化け屋敷に住むの怖くない?」と聞かれても「こわくないよ」と自然に返しちゃう。

子どもは感じることや生きることが言葉と分離する以前の状態である「神話的時間」を生きてるから、時として大人が信じられないようなことを平気で言い出すときがもうしょっちゅうあるんだよね。
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そのとき「はいはいw」って適当にあしらうのか、「そうなのかー!うんうん!」って受け止めてあげるのか。その違いで子どもの感性って豊かになりもするし、スポイルされちゃったりもするんだよ。

親も神話的時間を共有して、こどもの感性や認知している世界そのものを微塵の疑いもなく受け止められたら、それだけでもう子どもにとって自己肯定感や自分がいま生きている喜びが感じられちゃって、どんどんセンスオブワンダーが湧き出ちゃうんじゃないかなぁ。

たぶん、メイとサツキのお父さんもお母さんも、きっと幼かった頃にセンスオブワンダーを持っていたんだろうね。それがお父さんとお母さんの描写から伝わってきちゃう。ま、このお父さん、さすがに子どもほったらかしすぎだろ~と思わないこともないけど…。

というわけで、自分も子どもに接するときは、メイとサツキのお父さんのように神話的時間に戻って、大いなる受容の態度で接してあげたいわぁ。「魚を飼うなら水を飼えって」よく言うけど、子どもを育てるなら親という水が透きとおってないと…みたいなことを思ってしまうわけです。はい、きれいごと~。

まぁ、子どものこと言う前に、テメェが最も現実と映画を混同してんだろって話しだけどw

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宮崎駿監督からの手紙の返事。。。

交差と連鎖のエンターテイメント-『サニー 永遠の仲間たち』

「交差と連鎖」を意図した作品全体の構造・デザインが好きすぎて仕方ない。気が利いてるというかウマいというか、映像全体から伝わってくる濃密さみたいなものがハンパじゃない!

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先週AIR JAM2012のチケットの抽選が落選しちゃった腹いせに、『シネマハスラー』お題作品『サニー 永遠の仲間たち』を鑑賞してきました。Twitterで浅草キッドの水道橋博士や小島慶子さん、大根仁さんら、著名人が次々に絶賛していてBUZZってるみたいなんで、相当期待感をもって行ってきた~。

※ちなみに以下ネタばれガンガン有りです。

この作品の最も素晴らしいところは様々な演出や作品の構造そのもので「過去と現在」、「個体と客体」、「首都圏と地方」、「独裁政治と労働運動」等といった2つの相対する世界やイデオロギーの違いを無意識に浮かび上がらせつつ、一方でその境界線が段々曖昧になり、2つの世界は実はつながっていて1つであることも示すところ。様々なものが交差し連鎖する仕組みになってるんですねぇ。

例えば過去パートと現在パートをカット割りせずに転換させる演出は言うまでもなく、それ以外にも、過去パートはうるさいぐらいに原色をふんだんに用いて、現在パートではくすんだ色合いで統一といった色の使い方と棲み分け。

同じシンディローパーの曲でも、過去パートでかかるのはビビットでエネルギッシュな歌声の本人が歌う原曲で、現在パートでは 温かみのある声で歌われるカバー曲?といった音楽の使い方と棲み分け。

すんごい細かいところでいえば、乱闘シーンで主人公ナミが看板?を持ってぐるぐる回るシーンで、客観的にひいた視点で回っている姿を捉えるだけでなく、主観的に自分の手や看板が止まっていて周囲がぐるぐる回っているという見せ方も、さりげないんだけどおもしろい。あるいはスジのお義母さんとの方言の会話のくだりから、飲み屋で「地域主義じゃなくて民主主義で…」とサラッと言うとこも流れが素晴らし過ぎて心の中で拍手!

他にもたくさん挙げたいんだけど、とにかくこのような主観と客観の視点の移動と、それがひとつに交わっていく演出はとにかく見事としか言いようがない。1個のシーンに伏線も笑いも泣きもあり、2重3重の意味がある。それがテンポよく連鎖していき、情感が直接的にも間接的にも伝わってくる。言ってしまえば「交差と連鎖のエンターテインメント」。こんなもん、惹きこまれないわけがないでしょ。

だから、昔の仲間を通じて、遠くに置き去りにしてきた過去の自分が持っていた純粋さに気付き、いま現在の自分が本当の自分の人生を取り戻す、という展開は心底納得で、ここまではもうウンウン頷きながら観てました。

それだけに、ラストのある着地点が受け入れられないんだよなぁ。自分自身の人生を取り戻したのなら、「いまここ」の立ち位置からそれぞれが自分なりに自分の足で歩き出すことが、本当にあるべき姿なはず。同じチーム女子ものの『サイタマノラッパー2』は徹底的にそこに立脚していたから最高なの。

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それなのにこの作品はそれを全部すっ飛ばして「カネ」に行く。昔の仲間にカネや職や家を与えてもらって、イェーイ!ってオカシイでしょ!あれじゃ、結局のところ資本主義バンザイ!って話しになっちゃうじゃん。

ほんとそこだけが残念。あれがもうちょい納得感のある着地になってれば『サニー』は間違いなく生涯ベスト級の作品だったんだけど…。

とはいえ今まで言ってきたような作品全体のデザイン・構造の見事さや、青春の青臭さ、同じ時間を過ごした仲間との甘酸っぱい思い出なんかが否応なしに喚起させられるストーリー。とにかく素晴らしいです!この作品のポップさ、いい意味の雑多感、テンポの良さは気持ち良過ぎる!これは観なきゃまじでもったいないっす!

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ボンクラでも生まれ変われる!毎日がバースデー!-『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』

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渋谷ヒカリエをガン無視決め込み完全スルーして向かったのは渋谷のパルコパート3。シネクイントで『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』観てきましたよ!

※すいません若干ネタバレっぽいのありです…

過去2作品とは比較にならないほどスケールアップしたキャラ達とセット、相変わらずのIKKU達の鉄板な存在感、今作初登場のベビーフェイス・ヒールを含めた新キャラ達の味わい深さ、そして何より主人公マイティの衝動と表現が一体化してるかのような圧倒的な演技。どれをとってももう期待以上のアガりっぷりで、本当に大満足でした!このシリーズ好き過ぎる!

1と2はDVDで鑑賞し、今作で初めて劇場で鑑賞したんだけど、これはもう劇場で観ないと絶対ぜったいダメ!劇場で体感しないとこの作品の魅力が半減しちゃうよ。

余韻がラップに乗って広がっていく

正直ね、エンドロールが流れ出すとき一瞬「えぇっ?」って思っちゃうの。なんというか若干の食いたりなさみたいなものをほんの一瞬だけ感じちゃう…。でも、これ、いい意味の「えぇっ?」なの。「結果」とか「答え」を提示しないで、ある意味突き放して終わるから一瞬腑に落ちないんだけど、終わってから時間が経つにつれて段々と余韻が深くなる。今回の場合は焼け付くようにヒリヒリする、そんな感じの余韻。毎度エンドロールで歌われるラップがその先を暗示してくれるから、むしろそっから想像が広がって行くような余韻が残るんだよね~。

今作のラップ名場面

1作目の市役所でのラップシーン、2作目の市民プールでのラップシーンという、いずれも長回しによる生々しさ全開のラップ名場面と呼べるシーンに今回対応するのが、中盤のオーディション会場でのラップシーン。ここ超好き!これまではとにかくただただ居たたまれなさが強調されてたけど、今回は居たたまれなさに加えて、笑えるうえにカタルシスまであったからもう最高!言動も位置どりも完全に上から目線で、嫌っけたっぷりな相手に対して、本来オーディションで比較されるもの同士が同じ敵に向けてコラボのプロテスト・ラップを下から突き上げる。2作目の選挙カー・ウグイス嬢ラップもそうだったけど、こういうラップの特性を生かしながら笑えて楽しい場面を演出するアイデアにはもう心の中で拍手喝采でしたねぇ。

説得力を持った音楽映画

で、やっぱり唸ったのは物語上の最大の転換点であるあのシーン。

もはや逃げる術を完全に失ったマイティ(主人公)に、突如僥倖のごとく後方から漏れ出るように鳴り出すあの音。一歩一歩吸い寄せられるごとに徐々に音圧が増し、ついに対峙したときに音圧が最高潮かつ音質もクリアになる。その音量・音圧・音質の遷移が、マイティの内面と呼応している。BGMではなく、物語上の演出としての音楽表現で、主人公の内面も、主題も、もっといえばバラバラだったキャラ達のポジショニングすらも、ほんとうに全てを収斂させてしまうのね。

音楽が物語上の大きな役割を持つ映画なのに、その音楽によって説得力を失ってしまう某『20世紀少年』や某『ベック』のようなぺらっぺらな作品とは全く異なり、「音楽表現」によって作品に圧倒的な説得力を持たせることに成功している稀有な一本!

ボンクラな映画かもしれんけど、そんなボンクラ達でもまだまだ生まれ変われる!毎日がバースデーだぜ!って奥底から鼓舞される!あ~、これで完結しちゃうなんて嫌だ~。

とにかく劇場で体感して!いいから今すぐ行けっての!

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