東北復興への想いと、全力の手作り感に溢れたAIR JAM2012の開催をマジ祝福します!
遂にAIR JAM2012の詳細がオフィシャルサイトにて発表になったよー!(↑ロゴをクリックするとHPへ)
感涙モンのメンツ まずやっぱりなんと言ってもKEMURIでしょー!東北のAIR JAMで復活だなんて夢みたい!ここにきて遂にHi-STANDARDとKEMURIという90年代のこのシーンの雄が並び立つっていう感慨深さね。この邂逅は嬉しい。AIR JAMのステージで『Prayer』のあのイントロのホーンが鳴り響くことを想像するだけで即刻昇天しちゃうわ〜…。
あとHUSKING BEEね。AIR JAMにハスキンが帰ってくるよ〜。AIR JAM2011で唯一足りなかったピースが、かちっとはまった感があるわ〜。
その他にもアジカン、モンパチ、ブルーハーブ、マイティクラウン、AA=、SION、RIZEあたりの新顔も嬉しい。アジカンは7月の、AIR JAMと双壁をなす復興・脱原発イベントの
NO NUKES2012 もあるし、最も復興に対して具体的なアクションを起こしてるバンドかもしれないねぇ。ちなみに難波さんとKENくん、あとBRAHMANもこのNO NUKES2012に出演予定。そんな感じでアジカンの活動のベクトルがハイスタと同じ方向を向いてるので今回のAIR JAM出演はとりわけ嬉しいなぁ。
でもまぁ一番アツいのはAIR JAM'97以来久々にSLANG先輩が名を連ねてることね。あのヘビー級どさんこハードコアにこそ今回のAIR JAMの魂を見るよ。
AIR JAM2011と連動した取り組み もともと横浜で行われたAIR JAM2011の収益は東北でのAIR JAM2012の開催費用に充てるとしてたけど、それについての発表もあったよ。
-AIR JAM2011からの繰り上げ金のご報告- 「AIR JAM 2011」からの収益金38,738,716円を、今回の「AIR JAM 2012」の公演経費として充当させて頂く事をご報告申し上げます。
AIR JAM2012 OFFICIAL WEB SITE/NEWS こうやって生真面目に金額まで報告してくれるのって、ほんと真摯さが伝わって来るよねぇ。
被災地以外でのライブの収益を、被災地でのライブの費用に充てる。KENくんのライブハウスのツアーで行われていた手法を大々的なフェスでとりいれてるんだよね。ちなみに2011のオフィシャルパンフの難波くんKENくん対談ではこんなこと言ってます。
難波 健くんが「東北でAIR JAMやろうよ」って言ってくれたこと、それは俺もそうだろうって思ったんですよ。でも東北でAIR JAMをやるためには、お金もかかるんですよ。だから今回横浜でやることでその収益金を持っていけばいい。お金の負担をそんなにかけたくなかったんですよ。できれば安いお金で観てもらえる、一日を楽しんでもらえる。そういう風にしたかったんですね。横山 だって東北のAIR JAMのチケットの値段を下げれば、九州の被災していない人が行ったとしても、そこで1日なり2日なり過ごして、そこで何かおみやげ買うでもいいから、そういうことをしてくれればそれだけ潤うじゃないですか。実際今は開催前だから収益がどうなるのかわからないけれど、なるべくそうしたいっていうのは、もう姿勢だよね。難波 あともう一点言わなきゃいけないことは、その収益を義援金にする方法を取らなかった理由は、義援金だと使い道もわからなくなるし、健くんが行ってたのは、寄付した時点でそこで放棄することになってしまうと。あとはまかせますっていう風に。それはイヤだなって。それじゃ、場を作って、一日楽しんでもらって、エネルギーを感じてもらって、日々の活力にしてもらう。それこそが俺らが音楽でやりたいことだから。
え…?チケット安くないじゃん…?とか思っちゃダメダメ!!東北でやるって簡単に言っても機材の運搬費用やらステージ組む費用だとか、なんやかんやで首都圏でやるり膨大なコストがかかるんだから。むしろ去年のAIR JAMより安く抑えられてるってだけですごいことだよ〜。
被災者優先のチケット販売 今回のチケットの先行販売は被災者限定で、転売防止のため全てのチケットは顔写真・QRコードによって管理されるとのこと。
ぶっちゃけ被災者じゃなくても先行に申し込もうと思えばいくらでも方法あるじゃんとか、県だけで線を引くのはどうなの?とか思うかもしれない。けど、申し込み者全員を対象に2回の繰り上げ当選という救済措置もある。「東北復興のためのAIR JAM」っていう目的に少しでも誠実であろうとして、批判を恐れず決断して手探りながらも実行するって、これ、並大抵のことじゃないよ。賽は投げられた。こっからはチケット買う側のモラルを問われる番だねぇ〜。
それにしてもAIR JAM'97はそれ自体が画期的だったし、'98は2ステージ制、2000は千葉マリンスタジアムでのフェス開催、2011はファミリーゾーンや子どもは無料などと常に先進的な取り組みがあるんだよ。今回の取り組みにも、毎度ながら敬意を表せずにはいられません…。道をつくる。ハイスタならではの筋の通った復興支援のあり方だよ…。
覚悟…。 とかまぁそんな具合に詳細発表を眺めてるだけでもういろいろ興奮しちゃったんだけど、同時に覚悟も決めたよ。「今年は行けないかも」っていう覚悟を。奇跡的にこれまでAIR JAM皆勤賞できてたけど、今回ばかりは覚悟を決めざるをえない。東北復興が目的のAIR JAMだから被災者優先なのは言わずもがな。おれなんてぜんぜん被災者じゃないし、去年横浜で良い思いさせてもらったからねぇ。
そりゃ行きたいのはやまやまだけど、そこはもう、1人でもAIR JAM、人生がAIR JAMだよ。
ってなことで岩手県・宮城県・福島県限定先行エントリーは6月1日〜6月6日まで、一般発売エントリーは6月15日〜22日だよ〜。ハイスタの東北復興への想いと、全力の手作り感に溢れたAIR JAM2012。心底行きたい人が行けるといいねぇ〜!
関連エントリー
今こそAIR JAM'97を振り返ってみる! どうせだからAIR JAM'98も振り返ってみる! ここまで来たらAIR JAM2000も振り返ってみる! 【AIR JAM2011レポVol.1】Hi-STANDARD‐今この瞬間に生きている証 【AIR JAM2011レポVol.2】BRAHMAN‐信念を超えて… 【AIR JAM2011レポVol.3】マキシマム ザ ホルモン-愛さずにはいられない
『SRサイタマノラッパー』という物語は終わった。そして終わりなき日常は続く…?いやそうじゃないんだなぁ…。
もうここんとこずっと『SRサイタマノラッパー』の世界から抜け出せず、現実と映画の世界が完全に混同しちゃっててやばいんですが、更にそれを助長する1冊のご紹介。入江悠監督自らが編集長を務めたSRクルー必読必至の『SRサイタマノラッパー』シリーズの解説本!これすんごいおもしろい!
内容については↓公式ブログのほうに十分すぎるほどの企画解説が載ってるのでそちらを参照!
「SR サイタマノラッパー ‐日常は終わった。それでも物語は続く‐」全企画解説!/映画「SR サイタマノラッパー」公式ブログ どこを切ってもムチャクチャ濃いんだけど、特に監督自らSRシリーズのシナリオを解説した『シナリオという名の「数学」』は心して読むべき。「制作秘話」どころか「創作秘話」って勢い!まぁ、自分の文章のカッチリ感の無さは数学の素養が無いからだ…とちょっとヘコまされたりとかしたけど…。
「日常は終わった。それでも物語は続く」…? でね、この本を読む前に、頭の中にある疑問が浮かんでたのね。それは何かというと、この本の題名。「日常は終わった。それでも物語は続く」…?
宮台真治が言うとこの「終わりなき日常」ってあるじゃん。「輝ける未来も非日常も来ることはない、ただ「終わりなき日常」が続くだけだ」っていうアレね。
でも本書の題名は逆で、「日常は終わった」でしょ。で、「それでも物語は続く」と。『SRサイタマノラッパー』という物語は終わったのに、あえて「物語は続く」としてるのは何故か…?ってのが疑問で、その真意というかここに潜んでる意味を知りたかった。そんな疑問を持ちながら読み込んでたら、やっぱりその答えはあったよ。入江監督のこれまで人生を自ら振返った文章の中に。
語るべきことを考え続ける 少なくとも僕は、「置換可能な物語」ではなく、「僕に固有の、僕が語ることに意味のある物語」を語りたいと思う。 (中略) だが、一体どうすればそんなことができるのだろう。実は、その答えはまだ出ていない。 そして、その答えを模索するために、あるいは、答えがないということを改めて確認するために作ったのが、映画「サイタマノラッパー」だった。 (中略) 自分が真に「語るべき物語」は何かを考えて疑うこと、誰かによって「語られた物語」が真に固有のものかを見極めること。そのような態度がこれからますます重要になっていくだろう。 むしろ、それこそ「語るべき物語」を持たないサイタマノボンジンの専売特許であり、そもそもの出発点なのだから。
特筆すべきものがない埼玉に育ち、語るべきことを持たない己を絞り出すように語った作品である『SRサイタマノラッパー』という物語が終わって、それでもなお、何を語るべきかずっと考えていると。それはこの先もずっと映画監督でい続けるということであり、だからこそ入江監督の「物語は終わらない」…。
つまり本書の題名は監督の決意表明だった、ととっていいんじゃないっすかね。
で、もっと言っちゃうと、この「物語は終わらない」って、別に入江監督だけに限らず、誰もが持つ普遍的なテーマなんじゃないかと思ったのよ。
誰の物語も終わらない 最近キャリアカウンセリングの分野で注目されている「ナラティブ・アプローチ」というものがあるのね。「ナラティブ」とは「物語=ストーリー」のことね。
例えば人と話していて「今の仕事はこんなことが不満で…自分はこう考えていて…こんなふうにしていきたいんだ」っていう話になったとする。そう考える背景にはその人の育ってきた環境や出会ってきた人などからの相互作用による影響が有り、それらを自分以外の人に理解してもらえるように語ることは、実は「自分の人生をストーリーとして語りなおす」ということなのね。
すると語り手自らが「話していて気付いたんだけれど、あの時のあの経験にはこんな意味があったんだなあ」と自分の経験をとらえなおし、段々と世界を見る目が変化していく。
こういう相手が語るストーリーに着目して、語りを傾聴することを「ナラティブ・アプローチ」と呼ぶわけ。
で、つまり何が言いたいかというと、特筆すべきものを持たず、何も起こらない日常をダラ〜っと生きるしょうもないただのボンジンであろうとも、実は誰もがその人だけの独尊的でかけがえのない物語を生きているってことなのね。
過ぎてく日々をただの「日常」として見れば、そこには終わることの無い合わせ鏡のような「日常」がただ延々と続くように感じられるかもしれない。でも「日常」を終わらせて、「物語」としてとらえなおせば…。
『SRサイタマノラッパー』を観た後のように、これまでの世界が違って見えるかもよ〜…。というわけでSRシリーズ好きの課題図書ねこれ。
関連エントリー
ザ・シネマハスラー「SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者」 評を聴いて「評論」について考えてみた ボンクラでも生まれ変われる!毎日がバースデー!-『SRサイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』 全ては有限だからこその泣き笑い‐『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー☆傷だらけのライム』 『ラップのことば』猪又孝 ラッパーとは�自分に真っ正直なヤツ� SR1作目&2作目↓
映画『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』の主人公アユムちゃんは、それを演じる山田真歩さんの生きざまがそのまま役に投影され、重なりあってたんだよ〜。だからあんなに輝いてたんだなぁ。
(C) 2010「SR2」CREW
<朝日新聞�マイナビ転職>Heroes File〜挑戦者たち〜�山田真歩さんvol.74 映画『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』で主演して話題を呼び、じわじわと注目を集めている女優・山田真歩さん。 学生時代に演劇に熱中し、出版社勤務を経て映画デビューという異色の経歴の持ち主だが、再び女優を目指す覚悟を決めるまでの悩みや迷いについて、まっすぐ語ってくれた
たまたま↑のマイナビ転職をみてたら「HEROS FILE〜挑戦者たち〜」というコンテンツに山田真歩さんという女優さんのインタビューが載ってたのね。
「あ、この人、『サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』の主演のアユムちゃんだ!」って気づいて、「へ〜、アユムちゃん頑張ってんだ〜」って読んでたら、サイドバーのプロフィールを見てびっくり!!!
な、な、なんと同じ大学の同じ学部の、全くの同級生だったことが判明!!!
そういえば昨年末に大学時代の友人と飲んでたときに「大学の同級生に映画に出てるこがいるよ」とチラッと聞いてたんだけど、まさか『サイタマノラッパー2』のアユムちゃんだったとは……。 全く気がつかなかったなぁ…。
いや、まぁ別に直接の知り合いでもなんでもないし、しゃべったことも全然ないし、当時を思い返しても「そういや確かにいたかもなぁ…」程度の記憶しかないんだけど…。
同級生ってわかったから言うわけじゃないけど、個人的にはサイタマノラッパー2の女子ラッパー達、特にアユムちゃんの、物事の有限を認識しつつも「どうしようもなくこれが好きなんだよ〜」って一途に突っ走っちゃう演技ってシリーズ3作のなかで特に好きなんだよ。1作目にも3作目にもない独特の機微を感じるテイストなんだよね。
その辺はこのエントリーにも書いたんだけど↓
全ては有限だからこその泣き笑い‐『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー☆傷だらけのライム』 それってこのインタビュー読んでたら、アユムちゃん演じる山田さんの生きざまがそのまま役に投影され、重なりあってたんだってわかったんだよね。「今日より明日が輝いてる!」って歌ったあのラップ、自分にも言ってたんだな〜。いや〜ホント素晴らしいです。おれもがんばろ。
というわけでおれごときがPUSHしたところで、さしあたって何の効果も見込めないんだけどそんなの関係なしに勝手に女優・山田真歩を激PUSHしちゃいます。
今度公開される荻上直子監督の『レンタネコ』という作品に出演されているそうです。なんと猫にまつわる話ということで、猫好きも注目したい一作ではないでしょうか〜! ちなみにこの作品の宣伝の一環として中日新聞のほうにも記事が掲載されてます。
山田真歩さんとよいこ 映画で共演して心通じ合う仲に 中日新聞 映画の公式サイト。
映画『レンタネコ』公式サイト あと、山田真歩さんご本人のブログね。
楽しくもあり楽しくもなし 最近じゃ映画『モテキ』にも出たみたいだし、今後は三池崇監督の新作にも出演するらしい。女優・山田真歩さん、今後は要チェックしといたほうがいいかも〜!
関連エントリー
全ては有限だからこその泣き笑い‐『SRサイタマノラッパー2女子ラッパー☆傷だらけのライム』
HIPHOP者ならみんなそうだろうけど、やっぱり自分のなかでもでかい存在でした…。
ビースティ・ボーイズ“MCA”ことアダム・ヤウクが死去 47歳/シネマトゥデイ ビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウクさんが現地時間4日朝、故郷ニューヨークで亡くなった。47歳。アダムさんは2009年、唾液腺にがん性腫瘍があることを告白しており、約3年間にわたって闘病生活を送っていた。
HIPHOPに全然興味なかったおれが、高校のとき友達に教えてもらって初めてやべぇ!ってなったのがBeastie Boysでした。ちょうど『Hello Nasty』が出るちょっと前の頃。当時よく買っていた雑誌『WARP』なんかにもよくBeastiesの記事が載っていて、HIPHOP畑の友達とよく共有してたなぁ。
音・ラップのカッコよさもさることながら、PVのおもしろさ、ファッション、発言や行動のユーモア、そういった一連の表現に現れる、ラジカルでいながら軽くボーダーを飛び越えてゆく姿勢が大好き。それにもともとPUNKバンドだったこともあって『Licensed to Ill 』や『Check Your Head』なんてモロにPUNKだし、HIPHOPの楽曲にもPUNKのエッセンスが感じられてジャンルの垣根なんか存在しないじゃん!って気づかされた。
それとアダム自身が発端となって始まったチベタンフリーダムコンサート。99年に日本で行われたときはHi-STANDARDやBRAHMANが出演したこともあって、世界情勢なんてこれっぽっちもわかってなかった高校生にチベットに関する興味感心をもたせてくれた。
PUNKしか知らなかった自分にとっては、Beastiesの存在によって様々な意味で世界が広がったんだ。07年のFUJI ROCKで観たステージが最初で最後のBeastie Boys体験だったけど、あの時の感動、大切な体験として刻み込むよ。
Thanx Adam!
このPVのバカさと浮遊感が好き↓
VIDEO 最もよく聴いた2枚↓
日本を代表する音楽家と小説家の対談は、「音楽と文章」の表現の広がりをそのまま表すかのようなインスピレーションに溢れる奥深いやりとりでした。
この本の内容は、もう題名そのまんまです。それ以外に別に説明することもないので、細かい説明は端折ります。
この本の中で、村上さんが「文学と音楽の関係」について言及する個所があります。非常に興味深い言及なんですが、ここに関しての小澤さんの反応が非常におもしろかったんです。
村上 僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなのは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか……。(中略)言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、硬軟・軽重の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。(中略)僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興をしていくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いていきます。小澤 文章にリズムがあるというのは、僕は知らなかったな。どういうことなのか、まだよくわからない。
「読み手を惹きこむリズムのある文章は、音楽的な耳を持っていないと書けない」と主張する村上さんに対し、「まだよくわからない」といまいち腑に落ちない様子の小澤さん。
ここを読んで、むしろ「まだよくわからない」と言う小澤征爾自身が、実はもっとも村上さんの主張を体現し、証明している人なのになぁと、その反応に驚いたんです。
小澤さんがまだ20代の頃に書かれた『ボクの音楽武者修行』という一冊。これを読めばもう「音楽的なセンスが名文を生む」のは一目瞭然。
以前、下のエントリー↓↓↓で、この本を読んだ感想として「世界の名音楽家は、文章のほうも名文家」と書いたんだけど、ここで小澤さんによって表現されている伸びやかでみずみずしい文章は、まさに村上さんの言うとおり類稀なる音楽的なリズムそのものだと思うんです。
『ボクの音楽武者修行』小澤 征爾 オーケストラとサッカーのアンサンブル 音楽的なセンスが名文を生むということを実際に形にしているのに、当の本人が「よくわからない」と、無自覚なのがなんとも不均衡な印象をもたらしますよね。むしろ凡人があぁでもないこうでもないと頭で考えるのとはもはや別の次元で、ハナから音とことばが一体化していて、意識せずとも内発的に自然にスーッと出てきてしまう性質のものなんだろうなぁ。きっと。
ちなみに自分はロックやパンクなんていう荒っぽくて雑な音楽しか聴かないので、文章のほうもこのように稚拙極まりないわけなんですねぇ…。と言い訳してみる…。というか、ロックやパンクに失礼…。
この本はオーケストラに造詣が深い人じゃないと正直理解できないところも多いとは思うんですが、最後の章では小澤さんが取り組んでいる音楽教育の話しが展開されていたり、村上さんの小説の書き方に話が及んだりと、広く一般的に応用して考えることのできる話題も交じっています。オーケストラの門外漢でも何かしら発見があるかも。
関連エントリー
『ボクの音楽武者修行』小澤 征爾 オーケストラとサッカーのアンサンブル 『海辺のカフカ』村上春樹 万物はメタファーである